現存するレンガ造りとしては日本最古級の建築物であり、太平洋戦争前からある日本の軍港でありながら、大規模な空襲を受けなかったため、保存状態も良く残されています。
 建設にあたっては、当時、帝政ロシアの南下政策を危険視した大日本帝国政府が日本海側への軍港を欲したものの、財政難により、呉港及び佐世保港が優先され、なかなか大規模な軍港として開港することが出来ませんでした。
 しかし、その後の日清戦争勝利により得た多額の賠償金により、ここ舞鶴港も日本海側唯一の軍港として大きく発展。その後は国際条約により一時軍縮となりましたが、太平洋戦争時には条約を脱退したことにより再び栄え、駆逐艦等の多くの艦艇を建造しました。
 この事から、経済力(GDP)は軍事力発展に必要不可欠であり、逆に言えば、それらを止められれば現在の軍事大国の生命線も止められるということが、この史料から学び取ることが出来ます。