こちらの施設では、会津藩の展示を通じて、太平洋戦争後、日本人が失ってしまった気高い精神を後世に伝えています。
 自分はここを訪れて、義和団事変の際に連合軍を率いた柴五郎少佐が会津藩出身と知り、深い関心を持ちました。
 柴五郎の少年時代は過酷の連続です。幼少期には兄達が戊辰戦争に出征、そして母や姉、祖母は会津籠城戦にて自刃。敗戦により藩領を失った会津藩は斗南(現在の下北半島)へ移住します。零下20度を下回る極寒の地での貧しい生活の中でも勉学に励み、陸軍士官学校を卒業しました。卒業後、陸軍士官として日清戦争を経験。その後は米西戦争視察し、清国駐在武官に着任。そして、着任直後の1900年の北京にて義和団事変が勃発。押し寄せる暴徒と清国兵士を救援部隊が来るまでの55日間大使館で応戦し、8カ国の指揮をとりました。その類稀なる指揮能力は、後の日英同盟締結を大英帝国が推す要因の一つとなり時のイギリス女王から勲章も授かりました。彼の指揮能力が無ければ日英同盟は結ばれることなく、日露戦争で大日本帝国はもっと苦戦を強いられていたことでしょう。柴五郎は戊辰戦争、日清、日露戦争を経験し、太平洋戦争後に自ら生涯の幕を閉じました。
 現在、太平洋戦争敗戦で戦利品の全てを失ってしまった日本はこの方の人生を広く語り継ぐことができませんが、激動の時代を強く生きた柴五郎をもっと世間に知られてほしいと個人的に思いました。