いきなり矛盾した題名ですが、これには私の中にあった違和感を多くの方が同様に思っているんじゃないか?と思ったからです。
もしかしたら私だけという可能性は大ですが・・・
まず、ビジョンつまり「視覚」とはなにか?
視覚は目で見ただけでは完成されません。
見たものが意味のある情報として認識されなければならないのです。
例えば「あ」という図形を見たときに、それが「あ」という平仮名であると認識されて初めて意味のある情報になるのであって、目に映っているだけではただの影なのです。
それは図形や文字だけでなく、見たもの全てに言える事です。
そこで受け取った情報を処理し、何をすべきか判断し、それに伴って体を動かす。
そして動かした事によって起きた変化を体全体で感じ修正をくりかえして正確に目的を達成させる・・・
この一連のプロセスが「視覚:ビジョン」というものです。
なので目に入る光を整えて、しかも両目の中心で無理なく見るようにする事から先、つまり脳の中で上手に情報を処理して体を動かすという情報の流れを整える事・・・
それを「ビジョント・レーニング」と呼ぶのです。
さて、両眼視機能の矯正を考えるときに外せない技術として「V.T」という単語が出てきます。
これも「ビジョン・トレーニング」の略です。
例えば輻輳不全(寄り目不足)が原因で近くを見たときの疲労感がある場合、寄り目を鍛える。
そういう訓練も「ビジョン・トレーニング」と呼ばれています。
しかし、輻輳不全のトレーニングは目に情報を綺麗に入れるための、つまりビジョンの入り口を整える為に行うものと言えます。
これが私を混乱させる原因だったのです。
「ビジョント・レーニング」のセミナーでいう「ビジョン」とは、視覚全体つまり「ビジョン」というとても大きなくくりの部分全てを指し、メガネを含めた矯正はその入り口でしかないのです。
もちろん正しい入り口を作れなければ健全なビジョンは育まれません。
メガネの矯正を学んでゆくと必ず出てくる「V.T」というキーワード。
「眼鏡士」であろうとするときに、その技術を自分のモノにしたいと誰しも思うと思います。
だから私もそれを具体的に学べる機会はないものかと情報の海を彷徨って出会った「ビジョン・トレーニング」というキーワードは、それを啓蒙しようとする大先輩にとって「ビジョン」全体を整える事を意味していたのに、私は入り口の「V.T」のを求めていて情報の大きさにすれ違いがあったのです。
つまり「ビジョン・トレーニング」と「V.T」は違うものだったのです。
「ビジョン」の本当の意味を教えて頂き、私たち視覚に関わる者がその先を見据えなければいけないという事を気付かせていただいた事で、その先の膨大な世界の入り口に立ったとき自分の未熟さと浅はかさを思い知らされました。
しかし、先ずは「眼鏡士」として「ビジョンの入り口」である「見える」を整える為に適切な眼鏡と入り口の「V.T」を適切に提供できるようにはならないといけません。
いずれは「ヴィジョン」全体を考えられる「視覚の専門家」になりたいと思いますが、それには「眼」や「見る」を超えて「体全体」と「心」の深い知識と考察が必要なのです。
これはもはや「愛」ですね。
とても大切な事なのに、多くの場合ほとんど商売にならない。
でもそれを一生懸命普及させようと頑張っている皆さんの表情は、みなさん優しいです。
子供達に対する深い愛を感じます。
見習わなければいけないのは技術や知識ではなくて、もっと根本的なことなのかもしれません。