Dolce far niente/Kamakura/Blood Orange Juice

色々な感動があったイタリアを後にして朝起きれば、フランスの田園地帯でした。
夜行列車での移動なので朝早くパリに着きます。ヨーロッパは陸つながりなので、電車で移動しただけで文化や言葉が変わるのは日本を出たことが無かった僕としては驚きでした。当時まだユーロが導入されておらず通貨の単位も変わるので、今よりも実感があるのかもしれません。
せっかく憶えたイタリア語の単語もフランスでは1から憶えなければいけませが、せめて挨拶だけは出来るようにと心がけました。
フランスでも貴重な出会いがあり、日本に帰ってからも会う友人が出来ました。
シャンゼリゼやエッフェル塔にルーブル美術館など、見所もたくさんあるのですが、いかんせん8月ど真ん中ということもあり、人、人、そしてまた人だらけでした。


そのままパリに10日程滞在してから日本に帰国しましたが、今振り返っても自分の人生にとって大きな影響を与えた期間でした。今の自分があるのは、この経験があったからこそだと思っています。

それは日本にいたら絶対に出会わないだろう様々な県の人たちに偶然出会い、そして助けていただきました。そして今まで自分勝手に生きてきた自分を責めました。自分の道は自分で切り開くとばかり考えていたからです。しかしながら今回の旅で、何の面識も無い自分に対して温かく接してくれた多くの旅の仲間がいました。そして成田に着いたときに今では自分の座右の銘となっている2つの言葉が生まれました。

『偶然性の必然性』
『自分は人に生かされている』

マドリードからパリまでに会った人とは、偶然出会ったけれども会うべきしてあった人であるし、その出会った人たちに自分は生かされていたと。


そして現在も、このブログを通して素敵な出会いがありますし、引き寄せ合っているのだなと感じます。
長々と読んでいただいた、たくさんの方にお礼を申し上げるとともに、何か素敵な出会いを感じていただければと思います。

最後に、この旅行中に祖父が亡くなりました。ちょうど鉄道でバルセロナからスイスのジュネーブに向かっている時のことです。僕は初孫で可愛がられたこともあり、お爺ちゃん子でした。そんなことも気遣ってか、家族は僕に知らせると旅行を切り上げると思い日本に帰るまで伏せていてくれました。
新潟の豪雪地帯に納骨されている祖父の墓参りに今年の夏は行きたいと思います。