昨日、現在購読している南日本新聞を、今月末で止めるという連絡をしました。
購読しない時期もあったが、オイラが物心ついてからずっと読んでいた地元の新聞です。
決断をさせたのは、救援活動をしたオスプレイの記事でした。
昭和41年生まれのオイラにとって、テレビと新聞が事実の全てでした。
新聞に嘘は書かれていない、そう思うこともなく、当然のように考えていました。
ここ数年、ネットの進歩の伴い、テレビや新聞が流さない事実が、見えるようになりました。
ネットに書かれていることが全て真実、とは言いません。
中傷や捏造された記事も、少なくはありません。
でも、我々取り手が、その一つ一つを判断すれば良いのです。
朝日新聞が話題になった頃、「このままでは地方紙しか残らないのではないのだろうか」、とオイラは思いました。
全国版は、テレビやネットで見ればいい。
地方の話題を知るには、地方紙しかない、と。
南日本新聞を止めて、新しく購読するのは産経新聞です。
オイラが無くなるのではないのだろうかと危惧した、全国紙です。
ここ1ヶ月、悩んでいました。
偶然かもしれませんが、熊本大地震が発生してから、おかしな箇所が目につきだしました。
あれほど愛読していた南風録、書いてあることが理解できません。
去年起きた自衛隊練習機の事故で亡くなった方の、名前が公表されなかったことに関して、疑問を投げかけるようなことが書いてあった記者の目。
決断となったオスプレイの記事は、共同通信社の記事を転載したものでした。
字面を見て、悪寒が走りました。
気持ちが悪くなるほどでした。
俺が変わったのかな、そう思っていたら、あちこちでオスプレイ記事に関する批判が出ていました。
今、考えなきゃいけないのは、被災者の事です。
阿蘇の難しい地形にオスプレイを着陸させるのは、相当の技術が必要だと推測します。
今朝になって、メディアの取材に関して、批判が続出しています。
焼き芋を待っていた少女を押しのけて、雨の中に追いやり、取材をする。
考えられません。
見る人がいるから、彼らの横暴は増長します。
スポンサーから出た資金で、傍若無人にふるまえます。
今一度、考え直す頃ではないのでしょうか?
政府が180万食を提供する(詳細を含めて)と通達したことに、Nスタでは、「そんな大きな数字を言われても分からない」、という被災者の声(?)を使って報道していました。
『十分準備をしていますので、必ず手元に届きます。今しばらくお待ちください』、というメッセージであるという解釈が、なぜできないのでしょうか?
地震発生から1週間、収まらない余震、降り出した雨、いかに被災者に安心を届けるか、必要なのではないのでしょうか。
南日本新聞のオペレーターの方には、『オスプレイの記事がきっかけだ』、という事を伝えました。
オイラ一人が止めたところで、大した影響はないでしょう。
でも、このままだと、新聞やテレビというメディアは、淘汰されていくでしょう。
今後も、何が真実で、何が嘘なのか、見抜く力を鍛えていきたいと思います。
それよりも何よりも、2名の行方不明者が、一刻も早く発見されることを願います。
また、被災者の方々が、一日でも早く、安定した生活を取り戻せることを、願っています。
ありがとう!