「(心霊治療家の)お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それを、ある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変わらぬインスピレーションの泉となさることです。」
魂という容器に蓄えられる霊力には実に様々な活躍の場があるのです。
「霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使いで霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は、支配するという本来の立場を知ることがありません。」
ここにおいでの皆さんも、ひょっとして身体が無くなったら自分という存在も消滅すると、心の何処かで信じてしまってはいないでしょうか。今朝の新聞にもこんな言葉が踊っていました。”人生は一度きりだから、思いっきり命を輝かせよう”とかなんとか。いかにも正しく美しく響く言葉ですが、実はこれが最悪の誤解なのです。
人生は一度きりと思うのはいいし、人生を輝かせるべきであるのも真理ですが、これを理由と判断に結びつけると毒になるのです。まちがった人生目標を定めさせ、人を焦りや諦めや無気力に陥らせたりします。そもそも人生一度きりなら何をしても無意味ではないかと考える人もでてきてしまうのではないでしょうか。
人生で輝かせるべきものは、肉体の死とは何の関わりもない、永遠かつその人独自の何か、なのです。
一方では真逆のことを唱える人もいます。「人は死なない」という本がよく宣伝されています。これはだいぶ前に出た本ですが真理に近いと思いますし、お薦めです。(「シルバーバーチの霊訓9」7章)