霊的真理の悟りは一人ひとりの孤独な体験を通じて得られるものです。新興キリスト教のリバイバルのような「熱狂的雰囲気の中での集団的回心の方法はとりません。そんなものは翌朝はもう蒸発して消えています。」
真の霊的人生の自覚は人生上の悩み、苦しみ、疑問など、なんとかして解決したい居心地の悪さを取り除くのに、結局物質的な解決策はないのだという認識とともに訪れ、それがやがて確信へと至ります。
そうして獲得した真実の人生観を土台に据えることで、目に見えるものに惑わされなくなり、本当の自己を開発し始めるのです。
このような人生の革命は、あくまで一人ひとりの孤独な体験を通じて進行するものです。
「私たちの目的は一人ひとりが自分で疑問を抱いて追求し、その上で、私たちの説いていることに理性を反発させるもの、あるいは知性を侮辱するものがないことを得心してくれるようにもっていくことです。」
「これはその人たちが霊的に受け入れる用意が出来ていなければ不可能なことです。そしてその受け入れ準備は、魂が何らかの危機、悲劇、あるいは病気等の体験によって目覚めるまでは整いません。つまり物質の世界には解答を見出し得ないという認識を得なければなりません。」
「一点の曇りもなく霊的真理を確信できた人間は真の自我に目覚め霊的可能性を知ることになると私たちは信じるのです。生命は死後も途切れることなく続くことに得心がいきます。霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。そして霊的知識に照らして自分の人生を規制するようになります。自然にそうなるのです。それによって内部の神性がますます発揮され、霊的に、そして精神的に、大きさと優雅さが増してまいります。」
こうして見ると、最初のきっかけである心の葛藤からそれに続いて真理を求め始めるという流れが、特に重要であると感じられます。
(「シルバー・バーチの霊訓8」6章)