ローテンブルクから西へ、ハイデルベルクをめざす。
広島に生を受けた人間として、どうしても訪ねたい都市の一つなのだ。
毎年8月6日、原爆犠牲者を追悼するミサが催されているという。
▼精霊教会。一つだけデザインが違うステンドグラスが…
広島と縁もゆかりもないハイデルベルグでなぜ?
そんな疑問を抱きながら、ミサが行われている精霊教会へ。
1544年、ロマネスク様式の教会堂からゴシック様式に建て直されたもの。
中に入ると、たくさんのステンドグラスが眼に入る。
その中の右端、全くデザインの違うステンドグラスがあった。
原爆の劫火のような赤い色、一番下に「6.8.1945」の文字。
▼ドイツ語なので意味不明だが、右下に数字が…
もちろん、1945年8月6日のことだ。
「物理学の窓」と名付けられたステンドグラス。
広島の原爆犠牲者を追悼し平和を祈念するためのものだ。
メッセージが書かれているが、ドイツ語なのでチンプンカンプン。
やむなくステンドグラスに向かって、しばし黙とうをささげた。
戦争の悲劇は、今も世界の各地で生まれている。
▼1945、8.6。間違いなく広島に原爆が投下された日だ
シリア、アフガン、パキスタン、スーダン…。
1個人として無力さも感じながら、それでも祈らざるを得ない。
そして募金箱に平和を願うメッセージとともに、いくばくかの募金をした。
ヒロシマーハイデルベルグ連帯の証(あかし)として。
それにしても、なぜハイデルベルグがヒロシマと連帯しているのか。
教会スタッフ数人に尋ねてみたが、返事は「分からない」。
▼中世のスタイルそのまま、教会の外壁に商店が連なる
しっかり事前に調べておくべきだった。
この教会、たぶんツアーでは素通りされるだろう。
個人旅行者には、ぜひ立ち寄って欲しいとの思いを強くした。
この教会、中世の様子を今に伝えるユニークな教会だ。
それは小さな商店が教会の外壁に張り付くように軒を連ねていること。
近代に入り、ほとんどの教会で撤去され、現存しているのは極めて少ないとか。
▼誰も気づきそうにもない「学生牢」の入口
ハイデルベルグは大学生の街として有名だ。
ハイデルベルグ大学は1986年創立、ドイツ最古の歴史を誇る。
8人のノーベル賞受賞者を輩出。現在は人口の6割が大学生とか。
学生の街を象徴するユニークな施設がある。
それが1914年まで使われていた「学生牢」だ。
かつて大学は治外法権で、学生が事件を起こしても検挙できなかった。
▼ドアを開けると鉄格子。紛れもなく牢屋だ
▼牢内には学生たちが描いた似顔絵がいっぱい
そこで大学が作ったのが学生牢だ。
入口には鉄格子のドア、まさしく牢屋そのものだ。
壁や天井には似顔絵や落書きがいっぱい。
この牢に入ることは栄誉とされていて、
誰もが卒業までに1度は入牢することを願ったとか
24時間拘束されたわけではなく、授業には自由に参加できたそうだ。
▼小高い丘の上にそびえるハイデルベルグ城
▼観光客のいない冬場、ケーブルカーは運休
ハイデルベルク城は見逃せない観光スポットだ。
小高い丘の上、どうして登ればいいんだろう。
ケーブルーカーがあるが、冬場は運休。
う~ん、オフシーズンは辛いなあ。
やむなく坂道をとぼとぼ歩いて登る。20分近くかかったろうか。
気温は摂氏3度だが、汗がじんわり噴き出してきた。
▼かなり破壊されているが、当時の威容はしのばれる
気持ち悪いよう。風邪を引きそうだよう。
13世紀に建造がはじまったハイデルベルく城。
ゴシック、ルネサンス、バロックと多彩な様式が見られる。
しかし幾度もの戦乱で破壊され、半ば廃墟と化しているのが惜しい。
フリードリヒ館から見下ろす旧市街の眺めは最高。
ハードな旅の疲れを癒してくれそうだ。
▼ハイデルベルグ城からは旧市街が一望できる
▼世界一でっかいワイン樽。22万リットルって想像もできない
フリードリヒ館の地下には巨大なワイン樽がある。
なんと直径7メートル、22万リットル入り(フルボトル約30万本分)。
王様自ら醸造したのではなく、領民から徴収したワインを入れるためのもの。
若いカップルに人気なのがエリザベート門だ。
フリードリッヒ5世が王妃エリザベートの19歳の誕生日に一晩で作らせた。
ここで写真を撮ったカップルは幸せになれるとか、
▼フリードリッヒ5世が一夜で築いたエリザベート門
こちら寂しい1人旅。
一緒に写真に収まってくれるお嬢さんもいなければ、
シャッターを押してくれる奇特な人もいない。
若いカップルに羨望のまなざしを送りながら、
とぼとぼハイデルベルク城の坂道を下った。。
これで、すべての観光は終了だ。
▼歩道にツグミが描かれた「つぐみ横町」。誰もいない
あすの帰国フライトに備えて、いざ国際空港のあるフランクフルトへ。
いやライン川沿いの小さな街、リューデスハイムに寄り道しよう。
それはなぜか。
そこには「つぐみ横町」と呼ばれる歓楽街がある。
酒場で飲んで踊って(ドイツ女性と交流もして)、ハードな旅を締めくくりたい。
つぐみ横町そば、ライン川をのぞむ四つ星ホテルにチェックイン。
▼シーズンオフのホテル、灯りが付いている部屋は四つだけ
荷物も解かず、シャワーも浴びず、つぐみ横町へ急行。
あれっ、誰もいないぞ。薄暗いし、シャッターも下りているぞ。
ここも冬場はお休みなのか。
一気にハートも氷点下。
やはり厳寒季に旅するのがいけないのか。
強がりかもしれないが、それはそれでいい思い出になった(と信じたい)。
▼ライン川を染める朝焼け。順調な帰国を祝うようだ
南ドイツ滞在最後の夜が明けた。
東の空が紅色に染まり始めた。今日は快晴だろう。
最新鋭機B787がフランクフルト空港で待っているはずだ。
朝食もしっかり食べ、余裕を持ってホテルを出発。
チェックイン、出国審査もなにごともなく終え、搭乗待合室へ。
そして再び事件は起こった。
■全く役立たないトリビアクイズ<9>
ドライブインで目撃しました。
高さ3メートルはある巨大なボックス。
さて、これは何でしょう>
★第8回解答
昔は肉を手づかみで食べていたとか。
肉の油でワイングラスが滑って落ちないように、
取っ手の部分に凸凹を付けたもの。
広島に生を受けた人間として、どうしても訪ねたい都市の一つなのだ。
毎年8月6日、原爆犠牲者を追悼するミサが催されているという。
▼精霊教会。一つだけデザインが違うステンドグラスが…
広島と縁もゆかりもないハイデルベルグでなぜ?
そんな疑問を抱きながら、ミサが行われている精霊教会へ。
1544年、ロマネスク様式の教会堂からゴシック様式に建て直されたもの。
中に入ると、たくさんのステンドグラスが眼に入る。
その中の右端、全くデザインの違うステンドグラスがあった。
原爆の劫火のような赤い色、一番下に「6.8.1945」の文字。
▼ドイツ語なので意味不明だが、右下に数字が…
もちろん、1945年8月6日のことだ。
「物理学の窓」と名付けられたステンドグラス。
広島の原爆犠牲者を追悼し平和を祈念するためのものだ。
メッセージが書かれているが、ドイツ語なのでチンプンカンプン。
やむなくステンドグラスに向かって、しばし黙とうをささげた。
戦争の悲劇は、今も世界の各地で生まれている。
▼1945、8.6。間違いなく広島に原爆が投下された日だ
シリア、アフガン、パキスタン、スーダン…。
1個人として無力さも感じながら、それでも祈らざるを得ない。
そして募金箱に平和を願うメッセージとともに、いくばくかの募金をした。
ヒロシマーハイデルベルグ連帯の証(あかし)として。
それにしても、なぜハイデルベルグがヒロシマと連帯しているのか。
教会スタッフ数人に尋ねてみたが、返事は「分からない」。
▼中世のスタイルそのまま、教会の外壁に商店が連なる
しっかり事前に調べておくべきだった。
この教会、たぶんツアーでは素通りされるだろう。
個人旅行者には、ぜひ立ち寄って欲しいとの思いを強くした。
この教会、中世の様子を今に伝えるユニークな教会だ。
それは小さな商店が教会の外壁に張り付くように軒を連ねていること。
近代に入り、ほとんどの教会で撤去され、現存しているのは極めて少ないとか。
▼誰も気づきそうにもない「学生牢」の入口
ハイデルベルグは大学生の街として有名だ。
ハイデルベルグ大学は1986年創立、ドイツ最古の歴史を誇る。
8人のノーベル賞受賞者を輩出。現在は人口の6割が大学生とか。
学生の街を象徴するユニークな施設がある。
それが1914年まで使われていた「学生牢」だ。
かつて大学は治外法権で、学生が事件を起こしても検挙できなかった。
▼ドアを開けると鉄格子。紛れもなく牢屋だ
▼牢内には学生たちが描いた似顔絵がいっぱい
そこで大学が作ったのが学生牢だ。
入口には鉄格子のドア、まさしく牢屋そのものだ。
壁や天井には似顔絵や落書きがいっぱい。
この牢に入ることは栄誉とされていて、
誰もが卒業までに1度は入牢することを願ったとか
24時間拘束されたわけではなく、授業には自由に参加できたそうだ。
▼小高い丘の上にそびえるハイデルベルグ城
▼観光客のいない冬場、ケーブルカーは運休
ハイデルベルク城は見逃せない観光スポットだ。
小高い丘の上、どうして登ればいいんだろう。
ケーブルーカーがあるが、冬場は運休。
う~ん、オフシーズンは辛いなあ。
やむなく坂道をとぼとぼ歩いて登る。20分近くかかったろうか。
気温は摂氏3度だが、汗がじんわり噴き出してきた。
▼かなり破壊されているが、当時の威容はしのばれる
気持ち悪いよう。風邪を引きそうだよう。
13世紀に建造がはじまったハイデルベルく城。
ゴシック、ルネサンス、バロックと多彩な様式が見られる。
しかし幾度もの戦乱で破壊され、半ば廃墟と化しているのが惜しい。
フリードリヒ館から見下ろす旧市街の眺めは最高。
ハードな旅の疲れを癒してくれそうだ。
▼ハイデルベルグ城からは旧市街が一望できる
▼世界一でっかいワイン樽。22万リットルって想像もできない
フリードリヒ館の地下には巨大なワイン樽がある。
なんと直径7メートル、22万リットル入り(フルボトル約30万本分)。
王様自ら醸造したのではなく、領民から徴収したワインを入れるためのもの。
若いカップルに人気なのがエリザベート門だ。
フリードリッヒ5世が王妃エリザベートの19歳の誕生日に一晩で作らせた。
ここで写真を撮ったカップルは幸せになれるとか、
▼フリードリッヒ5世が一夜で築いたエリザベート門
こちら寂しい1人旅。
一緒に写真に収まってくれるお嬢さんもいなければ、
シャッターを押してくれる奇特な人もいない。
若いカップルに羨望のまなざしを送りながら、
とぼとぼハイデルベルク城の坂道を下った。。
これで、すべての観光は終了だ。
▼歩道にツグミが描かれた「つぐみ横町」。誰もいない
あすの帰国フライトに備えて、いざ国際空港のあるフランクフルトへ。
いやライン川沿いの小さな街、リューデスハイムに寄り道しよう。
それはなぜか。
そこには「つぐみ横町」と呼ばれる歓楽街がある。
酒場で飲んで踊って(ドイツ女性と交流もして)、ハードな旅を締めくくりたい。
つぐみ横町そば、ライン川をのぞむ四つ星ホテルにチェックイン。
▼シーズンオフのホテル、灯りが付いている部屋は四つだけ
荷物も解かず、シャワーも浴びず、つぐみ横町へ急行。
あれっ、誰もいないぞ。薄暗いし、シャッターも下りているぞ。
ここも冬場はお休みなのか。
一気にハートも氷点下。
やはり厳寒季に旅するのがいけないのか。
強がりかもしれないが、それはそれでいい思い出になった(と信じたい)。
▼ライン川を染める朝焼け。順調な帰国を祝うようだ
南ドイツ滞在最後の夜が明けた。
東の空が紅色に染まり始めた。今日は快晴だろう。
最新鋭機B787がフランクフルト空港で待っているはずだ。
朝食もしっかり食べ、余裕を持ってホテルを出発。
チェックイン、出国審査もなにごともなく終え、搭乗待合室へ。
そして再び事件は起こった。
■全く役立たないトリビアクイズ<9>
ドライブインで目撃しました。
高さ3メートルはある巨大なボックス。
さて、これは何でしょう>
★第8回解答
昔は肉を手づかみで食べていたとか。
肉の油でワイングラスが滑って落ちないように、
取っ手の部分に凸凹を付けたもの。