インカの大地は遠かった。太平洋上空で日付変更線を越えた。アメリカ大陸上空では赤道も越えた。広島からpペルーまで30時間余りのロングフライトだ。壮大な遺跡群、子どもたちとの触れ合い、ナゾを秘めた地上絵。きまぐれな旅人の思い出をつづった。


T上司ランチ漫遊
▲陽気で明るい中学1年生たち。思いも思いにポーズ


少年少女の一団に取り囲まれた。
その数、ざっと30人。クスコ市街を見下ろす高台。
さわやかに晴れ上がった、金曜日の午後だった。


「ブエナス タルデス!(こんにちは)」。
恐る恐るスペイン語で話し掛けた。
見知らぬ異邦人に興味を覚えたのだろう。


「どこからきたの」「何をしにきたの」。さまざまな質問が返ってきた。
中学1年生、校外学習でインカの遺跡めぐりをしていたようだ。

「日本から来た。フジモリ大統領の弟だ」

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▲世界遺産クスコの街並み。赤いレンガ屋根が美しい


冗談を交えて答えると、一瞬きょとんとした表情になった。

「日本人ならカンフーの技を見せてくれ」。黒い瞳の少女が注文。
空手チョップに回しげり。ブルース・リーを気取ってみたが、スッテンコロリン。


日本の裏側で、すがすがしい触れ合いのひと時。

子どもたちにカメラを向けると、思い思いにポーズ。
リャマを連れたインディオのおばさんもフレームに入ってきた。


「いい写真が撮れた」。一人悦に入っていると、右手を差し出し一言。

「ウノ、フォト」(ウノは1。モデル料として1ドルくれという意味)。
貧しいインディオの生活の知恵だが、ちょっぴり辛口の出会いだった。


■困った困った・その1=チンプンカンプン…入国カード■


ロサンゼルス発、ブエノスアイレス行きアルゼンチン航空。ペルー入国カードには、スペイン語しか書かれていない。もちろんチンプンカンプン。スッチーさんを呼んで、1文1文確かめながら記入した。あれから20年、今ではた英語併記になっているだろう。


旅ガイド>ペルーへは、USA経由のフライトしかない。この時は、まずノースウェスト航空でロサンゼルスへ。ブエノスアイレス行きアルゼンチン航空に乗り換え、リマで降機。当時では、たぶん一番安い航空券だった。クスコへは、リマから国内線で1時間。


ペルー>インカ文明が栄えた中央アンデスに位置する、世界遺産と黄金の国。首都リマ。人口は約2700万人。メスティソ(ヨーロッパ系とインディオの混血)が50%強を占める。国民の95%がローマ・カトリック。スペイン語が多いが、ケチュア語、アイマラ語も。


リマ>1535年1月18日、スペイン人征服者フランシスコ・ピサロがアルマス広場を建設したのが始まり。この日はリマ建都の日とされている。17世紀コロニアル時代の繁栄を色濃く残す旧市街は世界遺産に登録されている。


お断り】この連載は1990年に某新聞に連載したものに、「困った、困った」を書き加えたものです。20年も前のことですから、現在のペルーの状況と大きく異なっていることもあります。