水の流れが数万年かけて侵食したたシーク(岩の裂け目)。
テクテク歩くこと30分、目の前が突然、明るくなった。
目を凝らすと、そこには神殿のように豪奢な建物があった。
▲岩の割れ目から姿を見せた「エル・ハズネ」
まだ全容は望めない。
朝日を浴びて、ほんのり赤く輝いている。
ペトラが誇る「エル・ハズネ(宝物殿)」だ。
止める家人を置き去りにして、駆け出してしまった。
なぜか足がもつれる。よろめきながらも、一気にシークを抜ける。
エル・ハズネの全容が姿を現した。
今から2000年も前にナバタイ人が築いた王国・ペトラ。
急峻な岩山に守られ、数100年も繁栄を謳歌した。
その入り口に今、たどり着いたのだ。
高さ40メートル余り、その大きさに圧倒される。
ふくよかな柱、ローマの神々の彫像、繊細な文様…。
ヘレニズム文化の影響が色濃いデザインだ。
▲見上げれば、ヘレニズム様式の装飾
2000年の時を経て、今なお神々しく輝く。
インドからアラビア半島へ、苦難に満ちた旅をしていた隊商たち。
彼らはどんな思いで、エル・ハズネを見上げたのだろうか。
エル・ハズネを過ぎると、ファサード通りだ。
岩をくりぬいた建物が、道の両側に連なる。
さら進むと左手にローマ劇場が見えてきた。半円形、おなじみの様式だ。
▲半円形のローマ劇場。かなり破壊が進んでいた
ペトラの人口は約1万5000人と推定されている(奴隷を除く)。
どこのローマ劇場も、人口の3分の1を収容できるように設計されるからだ。
ローマ劇場の向かい側には、[王家の墓」と呼ばれる岩窟墳墓が連なる。
小山を駆け上り、墳墓をのぞいてみた。もちろん、今は何もない。
2000年を超す時の流れに、底知れぬはかなさを感じた。
▲「王家の墓」と呼ばれる岩窟墳墓群
もう3時間は歩いただろうか。
手入れの行き届いていない砂利道、かなり足にきた。
カフェで一休みといきたいが、エル・ハズネの近くに1軒あるのみ。
今来た道を戻るのはおっくうだ。
マップをみると、この先にレストランがあるようだ。
少し早いがランチ休憩だ。
正午前だというのに、観光客で大賑わ
ランチはお仕着せのヨルダン料理。はっきり言って、うまくない。
有名観光地、しかも独占レストラン。こんなもんだろう。
まあビールが飲めたから良しとしよう。
でも、毎度おなじみのアムステル。違う銘柄はないのかなあ。
外国に来てまで日本のビールを飲む気はさらさらないが、輸出はしているのかなあ
▲有名観光地だから、お味のほどは…
オランダビールを飲みながら、なぜか愛国心が沸いてきた。
再びペトラ探索だ。なにせ東京ドームの10倍もある広大な遺跡だ。
たぶん1日では見尽くせないだろう。
だけど悲しい駆け足旅行者。
明日はアンマンに戻らなけれならないのだ。
いくらぼやいても、余分の時間が降ってくることはない。
エル・ハズネにいた古代ナバタイ人。
たぶん警備員(写真モデルも兼ねている?)。
もちろん、写真を撮ってもチップはいりません。
気楽に声を掛けましょう(と言っても英語は通じない)。
ところがこの古代人、
この写真撮影のあと、ある行動をして雰囲気ぶち壊し。
さて、ある行動とは何でしょう?
ずばりお答えください。
<この連載は金・日曜日にアップします>
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