姪が来るようになり
母が1人で過ごすことが無くなり ほっとした ことを思い出します。
そのとき ふと ずっとこが 小学校卒業するくらいまで 母が 生きてくれていたらいいな ずっとごが 学校から帰ってきても 姪がいてくれれば 寂しくないし…と
心の中で 思ったことを 思い出しました。
… この事を 私は今まで 誰にも 言ったことが 無いのです。
母の体調も安定していた 今年、 家を建て直す事を決めて 実行にうつしました。
姪が我が家に来てくれるようになってから 丸5年
いい加減 このままじゃいけないんじゃないか…
二十歳だった姪も25歳 そろそろ自分の人生を歩き出さなければいけない。
このまま 母が生きている間中 我が家にしばりつけておいては いけないと。
新しい家はセキュリティ強化して 私の居ない時間はヘルパーさんにお願いするように 設計していました。
ずっとこも 大きくなり 精神的にも成長して
姪の事を 毛嫌いするようになり
また 姪も いつまでも幼い子ではない ずっとこの事を 毛嫌いしはじめました。
今年になり ずっとこが学校から帰って遊びに行かなければ 姪の事を帰していました。
姪の帰った後は ずっとこが母に水分補給などをさせてくれていました。
新築した際には 姪にはもう 来なくて良い事と 自分の人生を考えてほしいと伝える予定でした。
そして 母の死…
亡くなってから 色々な事を思い 考えて
母はきっと 『ずっとちゃんありがとう、もう私にお金をかけなくても いいよ 』
そんな風に 母の死を 自分で納得させていましたが…
通勤途中のバスの中でふと 思い出した、ずっとこが小学校 卒業する位まで 母が生きてくれたら …と
思ったこと …
私は とんでもない 思い違いをしていたことに 気付きました。
私が 母を 支えてきたんじゃない…
母は 私のために ずっとこが寂しくないように…
生きてくれていたんだと…
思えば 三年前 完全に寝たきりになり 首より下を自分の意志で動かすことができなくなり…
現役48キロあった母の体重は28キロにまでおち…
食べることができなくなり ケアマネさんからも ベッドで 無理なく 過ごしていくと ケアプランが作られた あのとき すでに いつ亡くなっても おかしくなかった あの日から 3年
母は 死に物狂いで 生きてくれたんだと
そのとき ずっとこは 二年生 私が仕事から 帰る間を1人で過ごすには まだ 頼りなかった
だから 母は 3年間 必死で 生きてくれたんだ と
母が 家に居たいって 願いを 私が叶えた みたいな 気になっていたけど…
思い上がりも甚だしい…
母は 私がずっとこを1人にさせたくない そんな思いを 察して 生きてくれたんだ。
だから ずっとちゃん ありがとうの旅立ちではなく
『ずっとちゃん もうお母さん 逝ってもいいよね 大丈夫だよね ずっとこも大きくなったね だから もう 2人で 大丈夫だね お母さんが居なくても しっかり 生きて生きなさい』
の 旅立ちだったと
気付いたら 後から 後から 涙が 溢れ
出勤するまえに ぐちゃぐちゃになりました。
同時に 暖かい気持ちと
母の深い愛情に 感謝でいっぱいになりました。
急に 旅立ったように思えたけれど
ずっとこが精神的に成長した今年
母は もう 自分が居なくても 大丈夫だと 決断したんだと 気付きました。
三年前から おもうことがありました 母は 自分の言いたいことも やりたいことも できないのに 生きていて 楽しいと思うことがあるんだろうか 苦しいだけなんじゃないか? なんのために…
いま 思えば なんて 傲慢な考えだったのかと 恥ずかしくなります。
母は 私の願いをかなえるために 必死に 命をつないでくれたんだと…
その日 仕事を 終え 家に帰り 母に線香あげて 『色んなことがわかったよお母さん今までありがとう』と 手を合わせました。
この事を記したく 母の死も書きました。
想いを 遺しておきたくて
母の 愛って 凄い。
母が1人で過ごすことが無くなり ほっとした ことを思い出します。
そのとき ふと ずっとこが 小学校卒業するくらいまで 母が 生きてくれていたらいいな ずっとごが 学校から帰ってきても 姪がいてくれれば 寂しくないし…と
心の中で 思ったことを 思い出しました。
… この事を 私は今まで 誰にも 言ったことが 無いのです。
母の体調も安定していた 今年、 家を建て直す事を決めて 実行にうつしました。
姪が我が家に来てくれるようになってから 丸5年
いい加減 このままじゃいけないんじゃないか…
二十歳だった姪も25歳 そろそろ自分の人生を歩き出さなければいけない。
このまま 母が生きている間中 我が家にしばりつけておいては いけないと。
新しい家はセキュリティ強化して 私の居ない時間はヘルパーさんにお願いするように 設計していました。
ずっとこも 大きくなり 精神的にも成長して
姪の事を 毛嫌いするようになり
また 姪も いつまでも幼い子ではない ずっとこの事を 毛嫌いしはじめました。
今年になり ずっとこが学校から帰って遊びに行かなければ 姪の事を帰していました。
姪の帰った後は ずっとこが母に水分補給などをさせてくれていました。
新築した際には 姪にはもう 来なくて良い事と 自分の人生を考えてほしいと伝える予定でした。
そして 母の死…
亡くなってから 色々な事を思い 考えて
母はきっと 『ずっとちゃんありがとう、もう私にお金をかけなくても いいよ 』
そんな風に 母の死を 自分で納得させていましたが…
通勤途中のバスの中でふと 思い出した、ずっとこが小学校 卒業する位まで 母が生きてくれたら …と
思ったこと …
私は とんでもない 思い違いをしていたことに 気付きました。
私が 母を 支えてきたんじゃない…
母は 私のために ずっとこが寂しくないように…
生きてくれていたんだと…
思えば 三年前 完全に寝たきりになり 首より下を自分の意志で動かすことができなくなり…
現役48キロあった母の体重は28キロにまでおち…
食べることができなくなり ケアマネさんからも ベッドで 無理なく 過ごしていくと ケアプランが作られた あのとき すでに いつ亡くなっても おかしくなかった あの日から 3年
母は 死に物狂いで 生きてくれたんだと
そのとき ずっとこは 二年生 私が仕事から 帰る間を1人で過ごすには まだ 頼りなかった
だから 母は 3年間 必死で 生きてくれたんだ と
母が 家に居たいって 願いを 私が叶えた みたいな 気になっていたけど…
思い上がりも甚だしい…
母は 私がずっとこを1人にさせたくない そんな思いを 察して 生きてくれたんだ。
だから ずっとちゃん ありがとうの旅立ちではなく
『ずっとちゃん もうお母さん 逝ってもいいよね 大丈夫だよね ずっとこも大きくなったね だから もう 2人で 大丈夫だね お母さんが居なくても しっかり 生きて生きなさい』
の 旅立ちだったと
気付いたら 後から 後から 涙が 溢れ
出勤するまえに ぐちゃぐちゃになりました。
同時に 暖かい気持ちと
母の深い愛情に 感謝でいっぱいになりました。
急に 旅立ったように思えたけれど
ずっとこが精神的に成長した今年
母は もう 自分が居なくても 大丈夫だと 決断したんだと 気付きました。
三年前から おもうことがありました 母は 自分の言いたいことも やりたいことも できないのに 生きていて 楽しいと思うことがあるんだろうか 苦しいだけなんじゃないか? なんのために…
いま 思えば なんて 傲慢な考えだったのかと 恥ずかしくなります。
母は 私の願いをかなえるために 必死に 命をつないでくれたんだと…
その日 仕事を 終え 家に帰り 母に線香あげて 『色んなことがわかったよお母さん今までありがとう』と 手を合わせました。
この事を記したく 母の死も書きました。
想いを 遺しておきたくて
母の 愛って 凄い。