
九人地蔵尊
こんにちは、よっこん日記のよっこんです。
今回は、伊予鉄三津駅の東側に位置する、松山市中須賀を散策してきたので、紹介します。
三叉路になっているところに、立派なお堂を見つけました。
「九人地蔵尊」という祠です。この地蔵尊には悲しい話が残っています。
愛媛県松山市中須賀3丁目2-5
「九人地蔵尊」と額縁が掲げられています。
ありがたや くはしらぢぞう(九柱地蔵) だいぼさつ(大菩薩) よろづのねがい(万の願い) ききたまふぞ(聞き給うぞ)
九柱地蔵というのは、九人地蔵のことですね。様々なご利益があるようですね。
格子の中に、九人地蔵が祀ってあります。
九人地蔵尊の法名は、儀春 覺春 清春 明春 見春 白春 順春 浄春 宗春
全員に『春』という文字が入っています。
「九人地蔵尊」の由来を記した石碑。
由来の文章が掲示してありました。
〔九人地蔵尊の由来〕------------------------
天和4年(1684)の正月28日(江戸前期)、温泉郡(現在の松山市)古三津村堀川の漁師9人が山口県大島郡の情島(なさけじま)近くまで漁に出ました。
この日は冬だったので悪天候になり、情島(なさけじま)に避難したそうです。
ところが、たまたま情島に九人組の集団強盗事件が発生しました。
漁師たちの人数も同じ9人で、しかも島内では見かけない人達だったので、運悪く強盗犯人と間違われてしまったそうです。
島の人達の誤解によって残念な事に9人全員殺害され、海に投げ込まれたそうです。
その後、9人が殺された命日には必ず暴風雨が起こったり、伝染病が発生したりして、島は不幸に見舞われたそうです。
何年か後に真犯人が見つかり、島人達は、後悔し反省して9人を地蔵様として祀り、供養をしたそうです。
すると、島には災害がなくなり、人々は深く信仰を続けてきたそうです。
それから、9人の漁師の故郷である古三津でも同様に、九人地蔵を祀るようになったそうです。
(祠の石碑や由来の文章をもとに作成)------
九人地蔵尊は、最近建て直されたようで、とてもきれいな造りです。
地元の人々に、今もなお大切にされている様子がわかります。
九人地蔵尊のとなりに、小さな石碑があります。
もともとは、こちらの石碑で九人地蔵を祀っていたのかもしれません。
〔おまけ〕~~~~~~~~~~~~
九人地蔵尊のすぐ近くに、「ポンジュース発祥の地」の石碑があるので、そちらも紹介します。
松山市中須賀にある小さな公園。
下の写真の奥に、小さく石碑が見えます。
愛媛県松山市中須賀3丁目11
「ポンジュース発祥の地」の石碑
石碑の裏面に、
平成六年五月吉日建之(之を建つ)
愛媛県青果農業協同組合連合会
とあります。
なぜ、ここが「ポンジュース発祥の地」なのでしょうか。
〈ポンジュースの歴史〉--------------
ポンジュースは、株式会社えひめ飲料が製造する、愛媛県産のみかんジュースです。
(現在の会社の前身は、愛媛県青果農業協同組合連合会)
当時の会長がアメリカのジュース工場を見学し、愛媛県産みかんジュースの製造を、昭和27年(1952)に開始しました。
ポンジュースの名前は、日本一のジュースになるようにとの願いを込めてつけられたものです。
「日本(ニッポン)一」のポンから取りました。
ポン(POM)は、文旦pomelo(ポメロ)や果樹園芸学、果樹栽培法のpomologyなど柑橘に縁の深い名前が多いこともあり、「POM」表記になりました。
国内3工場(松山、東京、茨城)で製造しています。
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現在の松山工場は、松山市安城寺町にありますが、もともとは三津に工場がありました。
多くの先人がジュースの製造に苦労した歴史を後世に残すため、石碑「ポンジュース発祥の地」を旧三津工場跡地に設置したそうです。
もともと、この場所にポンジュースの工場があったのですね。
ポンジュースに関する、地域の歴史を知ることができました。
それでは、良い一日を。