こんばんわ。

 

今回は母(わたし)の昔話です。興味のない方スルーして下さいね。笑

 

私が英語に興味を持ち始めたのは中学生の頃。大好きなアメリカのテレビショーと映画がありました。最初は面白くてみていたわけですが、和訳で観てもなんかしっくりこず、ありのまま理解したい。そんな気持ちが私の中でフツフツとわき、英語のクラスはそれはそれはもう頑張りました。英語塾にも通いました。でもいつの頃か、このまま日本で英語を勉強し続けても読み書きはできても、一体喋れるようになるのかという漠然な疑問にぶち当たりました。教科書を丸暗記するようなその頃の授業。リピートアフターミーな世界笑い泣き いや、私はそんなんじゃなくて母国語を話すように英語を聞いて話したい、そう強く思ったのです。

 

中学3年生の時に初の海外旅行。行き先はカナダ。塾の先生がバケーションホームをカナダに持っていたので、塾の仲間3人と1ヶ月ほどお世話になりました。初めての海外。見るもの聞くものが全て新鮮でした。でも、学校で習ったようなことは全く使い物にならず、全然言いたいこと聞きたいことが中々通じず(相手の子たちはとても優しかったし、理解するまで忍耐強く聞いてくれてはいましたが)あんなに頑張って勉強したのにこれか、、、、とがっかりしたことは今でも鮮明に覚えています。笑 でも、ここが分かれ道!私は悔しい思いをバネにしました爆  笑やっぱり勉強だけでは(助けにはなるけど)どうにもならん!その環境に身を置かないと無理!そう強く思い、帰国した後は高校卒業後に絶対留学する!という強い思いだけを持ち続けました。大学進学とかは全く考えなかったです笑 周りが進路選択をしている間、私はどこに留学するべきか、、、と色々考えていました。でもやっぱり初めて行った先がカナダだったのもあり、結果的には色々それまでに至る出会いもあり、カナダに一年留学することを決心した私。行くまでに夏休みを利用し、地元で海外青年協力隊(だったかな?)のボランティア活動に参加したりとひとまず世界のいろんな人に会える機会があるなら行動できる範囲で自分をそういったグローバル?な状況下置いていました。

 

留学の手続きも斡旋会社は利用したものの、自分でできることは全て自分でやりました。それくらい本気だったのです。

私は学校の成績だって特段にいいわけでもない、中の下といったところでしょうか。でも、一つ周りと違ったのははっきりとした夢があったからです。仕事の夢ではない、留学という夢があったのです。親にもどれだけ自分が本気なのかを理解してもらいたかった。だから、その本気を表せるように自分なりに努力したと思っています。だから当初反対していた父もゆくゆくは首を縦に振ってくれたのです。(母は心配はしていたものの、私の夢を一番理解していてくれたのでサポートしてくれました)

 

カナダに一人で飛ぶ日。今でもそのとき空港で撮った家族写真を覚えています。ドキドキワクワクしている私、でも初めて親元を離れる日。写真に写る私は神妙な顔つきでした。笑 これから一人で飛行機に乗り、一人で入国審査をして異国に入るんだ、、、もう不安の塊でしたね笑い泣き もちろん空港にはホストファミリーが迎えにきてくれていましが、とにかく全てが不安!無事辿り着けるか(乗り換えがあったので)ビクビクしていましたが、なんとか無事到着、ホストママに会った時は緊張はしていたものの、ああ、、、頼れる大人がいる、、、、と安堵したことは今でも覚えています。私のホストファミリーはすでにホストファミリーとして何人もの生徒を以前から受け入れているので、手慣れた様子でしたが私自身は自分がホストファミリーの経験はあっても、学生として受け入れられるのは初めてでしたから、ひとまず教えられたことを覚えるのに必死でした。まだリスニングも弱いし、リスニングが出来なきゃ喋ることもできない。ひとまずイエス、ノーの繰り返しでしたね。苦笑 ホストファミリーは8歳の男の子、13歳の女の子、そしてパパ、ママ。当時私は19歳。でも、受け答えは小さい子のようでしたね泣き笑い女の子の方が私に気を使って当時人気絶頂だったスパイスガールズのCDを持ってきてくれて「聞いてみる?」って勧めてくれて、そして日本でその頃はやっていたCDを私も持ってきていたので、それと交換で聞き合いっこしましたニコニコ 若いのに優しいなあ、、、ってその時ほろりとしました。緊張をほぐそうとしてくれていたんだと思います。

 

そんな感じでスタートした私の留学生活。最初の1週間ははっきり言って何したかよく思い出せません汗自分の通う予定の学校に連れて行ってもらったり、どこからバスに乗ってどこで降りるのかとかそういった必要なことを色々教えてもらったんじゃないかな。小さな街だったのでバスで行けるところも限られているし、乗り過ごしたりしてもそこまで大変ではなかったと思いますが、ひとまず最低限覚えなくちゃいけないことだけ必死で覚えていたと思います。そんなこんなで、学校もスタートして、ひとまず学力テストを受けてESLのクラス分けをして、もちろん私は低いところからスタート笑い泣きでも、逆にそれでよかったと思いました。とにかく努力をするしかない!ただそれだけ。試行錯誤しながら頑張りました。友達も次第にでき始め、自分の居場所ができ始めました。友達と言っても年齢も国籍も全然バラバラ。刺激になりますゲラゲラせっかく英語の生活にどっぷりはまるために来たのだから、日本人だけのグループとかに属するのは嫌だったので、私のいたグループはフランス語圏のカナダ人(つまり東側の方ですね)、スパニッシュ、台湾、日本となんかまさに色々混ざっていました。日本人いてもみんなといるときは、常に英語で話す努力。みんながわからない言語は喋らないルールです。だって嫌でしょ?何言われているかわからないもの。私だって嫌だ。でも何て言っていいかわからない時とか、その友達に(レベルが上だったので)これはなんていうの?と聞いたりすることはありましたがね。笑 一番の思い出はそのグループでカナダ横断旅行したこと爆  笑グレイハウンドバスを使って(当時それが一番安く利用できる旅行方法?だったので)BC 州からスタートしは東はケベック州まで行きました。ユースホステルを利用したり、ちょっといいとこに止まったりしたり、自分達できる範囲で色々計画しました。途中バス乗り遅れたりしたりで擦ったもんだもありましたがそれも今となっていい思い出です。クスッと笑えちゃいます。

 

もちろん楽しいことばかりではない留学生活。涙した日も沢山ありました。自分の不甲斐なさに泣いたりもしました。クラスのことで悩んで泣いたこともありました。家族に会いたくて、寂しくてたまらない夜に泣いたことも沢山ありました。本当に色々ありました。

 

1年という短い間でしたが、私自身かなり成長した一年でもありました。とにかく何をするにも自分自身で考え、行動し、問題があれば解決してというのを繰り返すからですね。アドバイスをくれる友達やホストファミリーはいても、結局最後に判断を下すのは自分自身。自分の言動に責任を持たないといけないからです。短いと言いましたが、私にとっては多分人生で一番内容の濃い一年だったと思います。ここでは書ききれないようこともたくさんあります。一生涯の友達も私はここで見つけました。あれからだいぶ経つけれど、今現在でも繋がっている大切な大切な友達がいます飛び出すハート滅多に会うことはできないけれど、お互いが思い合っているのは感じるので安心するのです。

 

そんなわけで一年が経ちこれからどうするかということを考えるために一旦日本に帰国。その頃私た興味を持ち始めていたのはウェディングプランナーの仕事。でもまだはっきりとよくわからなくて、狭い視野で考えるというよりももうちょっと視野を広くしてホテル業界に入ってみようかなと思ったのです。ちょっとうる覚えなのですが、子供の頃に多分昔に見た日本のドラマの影響もちょっとあったと思います。TBSチャンネルのドラマ「ホテル」1990年(姉さん事件です!わかる人はわかるかな。笑)あのドラマすごく好きだったんですね。なので、帰国した後はホテル専門学校へ行ってみようかと思ったんです。体験入学もしてみました、、、、が何か違ったんです。仕事そのものというよりも、日本のホテルで働きたいのではないとその時咄嗟に感じたんです。あ、違う。これじゃない。何がと言われても多分説明がうまくできません。でも、それくらい本能で感じ取ったんだと思います。

 

ちょっと長くなったので、昔話第二弾は次のブログで、、、。笑

 

 

ではおやすみなさい。