H.O.氏の「つれづれぐさ」抜粋 第107段 | tj-adventureのブログ

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まずは私、編者のTJ Adventureの注:
徒然草は余りにも有名な日本の古典の一つですが、学生時代以来ご無沙汰している人が大半のようです。年を経、人生経験を経て読むとまた新たな感慨も湧いてくるものでしょう。
これは、私の友人のH.O.氏が自分の特に気に入った部分を抜粋したものです。

(第107段)
かく人に恥ぢらるゝ女、如何(イカ)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(シヤウ)は皆ひがめり。人我(ニンガ)の相(サウ)深く、貪欲甚(トンヨクハナハ)だしく、物の理(コトワリ)を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞(コトバ)も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡(アト)より顕(アラ)はるゝを知らず。すなほならずして拙(ツタナ)きものは、女なり。その心に随(シタガ)ひてよく思はれん事は、心憂(ココロウ)かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女(ケンジヨ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主(アルジ)としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚(オボ)ゆべき事なり。

(現代語訳)
これほど男を緊張させる女というものが、いったいどれほど素晴らしいものかと言えば、これがどれもこれもろくでもない者ばかりだ。女というものは自分勝手で欲深で物の道理が皆目分からない生き物である。口先は達者なくせに人の口車には乗りやすく、どうでもいいことでもこちらから尋ねるとなかなか言わない。それで用心深いのかと思うと、とんでもないことを、聞かれもしないのに自分からぺらぺらとしゃべり出すのだ。はかりごとを巡らして表面をつくろうことにかけては男の悪知恵もかなわないが、化けの皮が後ではがれることが分からない。愚かでひねくれものなのが女というものだ。 そんな女の言うままになってよく思われようとすることが、どれだけくだらないことか分かるはずだ。どうして女の前で緊張する必要などあろうか。いっぽう、頭のいい女というのもまた困りもので、気味が悪いから敬遠するしかないだろう。 女を上品だとか素敵だとか思うようになったら、それはまさに女に迷って自分を見失っているということなのである。

編者後注:
女性からのコメントを聞きたいところです。