H.O.氏の「つれづれぐさ」抜粋 第85段 | tj-adventureのブログ

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まずは私、編者のTJ Adventureの注:
徒然草は余りにも有名な日本の古典の一つですが、学生時代以来ご無沙汰している人が大半のようです。年を経、人生経験を経て読むとまた新たな感慨も湧いてくるものでしょう。
これは、私の友人のH.O.氏が自分の特に気に入った部分を抜粋したものです。

(第85段)
人の心すなほならねば、偽(イツハ)りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直(シヤウヂキ)の人、などかなからん。己(オノ)れすなほならねど、人の賢(ケン)を見て羨(ウラヤ)むは、尋常(ヨノツネ)なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少(スコ)しきの利を受けず、偽(イツハ)り飾りて名を立てんとす」と謗(ソシ)る。己れが心に違(タガ)へるによりてこの嘲(アザケ)りをなすにて知りぬ、この人は、下愚(カグ)の性(セイ)移るべからず、偽りて小利(セウリ)をも辞(ジ)すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。狂人の真似(マネ)とて大路(オホチ)を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥(キ)を学ぶは驥の類(タグ)ひ、舜(シユン)を学ぶは舜の徒(トモガラ)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

(現代語訳)
人は誰でも多少ひねくれたところがあるから、たまには嘘をつくこともある。しかし、なかには真っ正直な人間もいる。そして、たとえ自分はひねくれていても、そういう人徳のある人を見れば、見習いたいと思うのが普通だ。 ところが、このめったにない人徳者を見て憎しみを抱く人がいる。そして「大利を得ようとして小利を捨て、本心を偽り上辺(うわべ)を飾って名声を得ようとしている」などと悪口を言う。まったく愚かさも極まれりと言うべきである。 わたしに言わせれば、自分とは考え方の違う人間を誰でも悪く言うこういう人間は、進歩や改善ということのない人である。わずかな利益を得るために嘘をつくことを止められないこういう人間は、他人の徳を学ぶことが不可能な人である。 狂人の真似をして大通りを走れば、すなわち狂人である。悪人の真似をして人を殺せば、すなわち悪人である。逆に、駿馬(しゅんめ)を真似る馬は駿馬の一員となり、中国の聖王舜(しゅん)を真似る人は舜の仲間となる。上辺を偽っても人の徳を真似る人は、人徳者というべきなのである。