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11日の岩手日報、心に響きましたあせる

 

 

・・・能登半島地震の写真でした・・・・

 

あの日から13年

中学3年生で、震災の記憶がある人・・・クラスの中で2~3人ラシイデス・・・

そうかぁーーーーーっ!

 

小学校のあるクラスで黙禱準備中

先生が「あと1分です」

すると一人の子が「59,58,57・・・」?

先生「カウントダウンはやめなさい、そういうのじゃないんですよ。イベントではありません!」と、ピシャリ!凝視

知らない子にとっては、そんな感じなんですよね

 

だから、伝えていくことが大事なんです

 

能登半島地震があったばかりなので、今年はいつもよりしっかり考えました

震災関係の番組を見ながら、色々思い出しました

 

病院で順番待ち中に、あの大きな揺れ

「あー、私はこうして死ぬんだ・・・なんだかザンネン・・・」

を実感した瞬間でした

 

休診になり、外に出てみると、火事になっているでもなく、救急車が走っているでもなく、異様に静まり返ったいつもの街

 

停電のせいで信号が止まっているだけで、普通に車が行き交っている

 

家に帰って見ると、どこも変化がなく、震度6の地震があったとはとても思えない

夢だったのか・・・

 

電気は完全に止まり、水道がチョロチョロと出るので、溜めておきました

その水とガスでご飯を炊き、みそ焼きおにぎりを作って食べました

 

お湯を沸かして湯たんぽに入れ、こたつで家族4人足を温めながら、石油ストーブで一晩過ごしました

 

息子が持っていた携帯電話のワンセグ(懐かしい)で、津波が来ていることを確認できましたが、今一つよくわからない

 

次の日、当然休業だろうと思っていた我が職場、スーパーマーケット

何の連絡もない

どちらにしても、かたずけに行かなければ・・・と、出勤

 

電気も水道も来ないのに、営業します!との事

 

ビックリでした!絶対に休業しません!

 

電卓で会計をして、売れるものは全部売ります

 

私は、割れたガラスのかたずけ、壊れたスプリンクラーから流れ出る水の処理

これで一日過ごしました

 

今夜も電気が来ない

今日は買い置きのカップラーメンと残りご飯

 

テレビも見れないので外に出てみると・・・眼下の街の中心部が星空のよう・・・

 

アッ!アッ!・・・明かりがひらめき電球・・・点いてる・・・おーっ!

 

まもなく電気が復旧、僅か1日チョットの停電でした

しかし長ーーーーーーく、長ーーーーーく感じました

そして初めて見た、津波の猛威・・・想像の遥か上を行く、地獄絵図爆弾

言葉になりませんでした

 

息子が就職のために関東で銀行口座を作った時に「被災された方ですか?」

と、気にかけて下さったそうです

世の中、まんざらでもないな・・・と思いました

 

元気に働いてる三陸の人々が言う「ゆっくりでも、絶対に、復興します」

お守りのようです

能登の方々にも届くといいですね

 

宝塚に嵌ったり、赤楚君を息子のように夢心地で見たり

生きていればこそ・・・です!

 

感謝、感謝!