学び2020
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もやもやしていて

積み上げていた

英語学習も、そのほかの勉強も

何だかもやもやしてきて

立ち止まってみた



自分を内観してみた。



もやもやしてる原因は

自分の理想から

自分を縛り付けている

というものだった。



自分が発する言葉一つ

行う行動

全てに自分の理想があり



理想を叶えられない自分に対して

受け入れられない自分がいるということ



こうでなくてはいけない

自分に囚われている事



自分を好きになりたいとか

気楽に生きたいとか

嫌な気持ちを避けたいとか



常に

こうありたい自分に

自分がなるように

自分で自分を見張っていて



常に自分が

自分にジャッジを下し


正しさを求めて

自分が苦しくなってた


そして、この苦しみを

解放できる方法のは

そのジャッジを下してた自分さえも

受け入れる事



汚い自分醜い自分を

ダメな自分を信じてあげることかな



汚さ、醜さ、、ダメさ

そんなら自分でも信じる事


汚いんだけど、醜いんだけど

それも自分だし、

理想はあるんだけど

そんな理想の自分でいられない


理想を捨てたい時もあるし

ダメさも愚かさもあることを認めないといけない



久しぶりに

そんな自分に気づけた。

私は自分に対しての理想が高かった。

ダメなことではないけど

それに疲れてきたから

その荷物をもやもやしてる間は

下ろしてあげて



力が戻ってきたら

また、自分の好きな、理想に

突き進めばいい



日常は、大切で

だからこそ、今は休もう

ダラダラとしよう

ダメさをたくさん出して

右往左往してとことん嫌になって

嫌気がさしてくるかもしれないけど



理想から離れてみよう




欲がない

39歳にして

物欲も、食欲も承認欲求も

人一倍なくなっていると感じる



もちろん男女の関わりも



20代の自分からしたら

こんなに欲がなくなるとは

想像もつかなかった



ほしいものがわからなくて

欲しがることもなく

誰かを羨むこともない



これがニヒリズムなのかと

思うことがある



けれど

何かに感動はするし

感情は高まったりはする



新しいことを学ぶことは面白いし

新しい発見は面白い



自分に対して起きる残酷な出来事も

一瞬や一時期は辛く

ああ、このパターンか…と

受け取ることもあるけど

長引かず、ある程度の時をもらえたら



そんなこともあったなぁと

解消してしまう



これが幸せなのかと問われると

幸せだと即答もできる

それで何がいいの?と問われても

自分はいいと思える



こんな状況に

こんな環境にいることも

ありがたく感謝も感じる

自分以外の人に

謙虚な気持ちにもなる



夫や子ども周りに関わってくれる人

有難いと思える



しかし

躍動感はない



こんな悟り自分を

何だろうと感じる自分がいる

最近

穏やかに平穏に暮らしている

何かを外に求めることが

あまりなくなった



情報を見ると

劣等感で溢れている気がする



誰かの曖昧な

軽率なやりとりに

誰かが正義を主張して



誰が決めたか知らない

正義を振りかざす人だらけになって



正しさばかりを求める

劣等感というものが

正義という名の形に代わり

仲間を集め

誰かを攻撃している



今、何かを主張することは

誰かに劣等感を植え付けることと

同じくらい

過剰な反応をそれぞれが見せ



本当はどこに向かいたいのか?

を見失ってる

正解を決めて

正義を振りかざしたら

何かが解決されるのかな?



正解がないのに

正義が振りかざされるから



正義という刃が

表に出る人を

苦しめる



snsからは

悲惨な音が聞こえる



そこから離れて

自分の幸せと向き合っていること

幸せの自覚を味わいたい



自分が日本という国で産まれて

今日食べるご飯があって

こうしてスマホで情報が見れる

明日の天気予報をみて

洋服を選べること



当たり前のような暮らしに

有難いを感じられることが

とても平穏で心地が良い



若い頃、悪意を持って私の生活を

メチャクチャにしてきた相手を

あるホームページで見つけた



今の時代

その相手にいくらでも

報復することはできる



けれど

その人が生きてる限り

その時代にした悪意を

今も許せないなんて



私自身がどれだけ今悲惨な

思いをしているのかを

表現しているのと同じだと思う



今私は幸せで平穏で心地が良いのだから

たとえ過去死にたいくらい

辛い思いをしたし

苦しんだけれど


今は、攻撃したいとも思わない

相手を貶めたり破滅させることは

このスマホひとつで

親指ひとつで簡単にできる



あの時

嫌なことをされた

辛かった

苦しかった

悲しかった



けれど時は流れて

全ては変化してて

その人がたとえ今幸せであっても

不幸であっても



私はどうなのか

だけなのだ



過去の過ちが

今の時代snsや情報社会によって

取り返しのつかないことになって

しまう傾向がある


若気の至り

過去の過ちすら

時がたっても色褪せようともせずに

より濃い色に染め直されて

出現させられてる



こんなんで

誰が幸せを感じられるのだろう。

なんのために生きてるんだろう



私は自分の今の幸せと向き合い

今の幸せを味わう








きゅうりとトマトを切っただけで感じた幸せ

夫出張中の

慌しい夕ご飯の準備


学校からの電話

子どもの父母会の電話

会社からの電話のや各種 手続き



慌しくきゅうりとトマトを切って

子たちに出した



切りながら

子どもたちが

この2品が好きだから



きっと喜ぶだろうなと思って

夕ご飯のおかずにプラスアルファつけた野菜



夫のいない夕ご飯



私一人でも

十分幸せを感じれる事を

実感できた



何かを与える人がいること

喜ぶだろうなと思える人がいること



とても贅沢な時間に感じた



結婚生活はこんな気持ちが

私にとってベスト



お互い一人の時も十分な幸せを感じられること

そして、二人でいる時は

さらに幸せと感じられるような



夫に依存してない自分を認識して

とても生き易い












運命を受け入れる

40歳

思えば、次男出産から

病気を多く経験する日々が続いた。



32歳くらいから、やっと自分で

色々と考えられるようになって

自分の足で自己を確立していこうと思い描いて



今まで閉ざしていたことを

色々チャレンジするようになった



そこから

8年間くらい

ずっと

病院との行ったり来たり



子宮からの大量出血

帝王切開

脳腫瘍摘出


今度は副腎腫瘍の手術を

受けることになった


健康はお金では買えない

遺伝子に組み込まれてる

変えようのないシステムである



そうゆう結論に至ってるのは

結果と原因の法則とかの

思想に染まり自分を責めるのを

放棄したから



アドラーの目的論も



私に何ができるのかな



正直とても怖い

今の現状を保たないと

わかることはとても怖い



副腎を、摘出して

私の今が無くなることが



新しい未来を想像するのが怖い



まだ、わからない

どうなるかわからない



希望を持つことを

あまり期待しすぎるのも怖い



受けいれ

そんな自分の人生を

重要し


今への執着を捨てる道の

選択肢こそが

私を苦しめないことなのだろうとは

思う



健康に執着していたら

今に執着していたら

私は苦しむ



私が幸せを感じるにも

希望を持つにも

一番の選択肢は



捨てる事なのだということは

承知できた。



いずれは、全てが無くなる

いざとなれば全てを捨てる


それが私が幸福を感じ

余生をすごさ生き方



タイミングをみて

リセットしながら



新たな自分を構築してく



病気を得た私は

そう生きる



落ち込む

苦しい

けど、しょうがない

受け入れる



それが自分の身体だから

受け入れて



新たに生きていくだけ





何者にはなれない

自分は何者かになれるのでないかと

いつしか思うようになった30代

何者になれないと思っていた20代


40代を目前にして

何者にもなる必要はない

という変化がきた


いつも楽な方へと

無意識に進んでいて


学ぶことは好きだけど

学び切ることは

していなかった気がする


学んで

流されて

立ち止まって

同調して

やはり変化して



真実とかを

言いたいわけではないし

たった一つの

安定を見つけたいという

わけでもないけど



その時その時感じる

自分の正義と向き合いながら

戦いながら



自分の変化を

感じながら



では、どうしたいの?

何がしたいの?

という問いをいつも持つ



今しかできないことは

どの年齢にもあって



20.30代では感じられなかった

体の変化も感じる



だからこそ

子どもから学べることと

今の私だから学べることを

今しかできないことを


見つけ出して

行動してきたい





優しい日々

貧血が辛いと言ったら

夫が子どもたちを連れて

雨の中買い物に行ってくれた



新しい仕事は

世間体がとても良くて

しかも自分の好きなことができて

お金がもらえる



みんな健康



私に取って

贅沢すぎるくらいの

ご褒美ばかり



人生の曲線みたいなものを

最近本で学んで

橘玲さんの本かな

人生の攻略みたいな本



確かに

私は幼い頃から温かな家庭で

育ったわけではなくて



父親には殴られたし

裸足で玄関に立たされた事もあったし

夫婦は仲悪かったし

貧乏だったし



マイナススタートだったからこそ

今は少しずつ階段を上がって

比較したらとても素敵な

光栄な環境



橘玲さんは

人の幸せが続かないのは

その状態には

慣れが来るからだと

分析してた



私も最近ふと頭に浮かぶ言葉があり

安定というのは幻

変化がないということはない

辛い事や苦しみはある



そう考えて

初めから存在するという前提を

感じながら生きていくと



なんでこんな目に遭わなければいけないのだ

という思いがなくなり



こうゆうことが人生なのだ

と思えてくる



この幸せが、ずっと続きますように…

ではなくて



この幸せを感じれる時が

とても幸せだ

と一瞬一瞬を切り取って

感じてみるだけでいい

と思える



不安は本能的に感じてしまうのは

仕方ないけど

不安を抱えながら生きるというよりは



不安になってもしょうがないよね

と不安に降参しながら

生きてる



今日は私にとって優しい日になった。

ただこの一瞬だけど


残酷と絶望感

自分が40にもなろうとしてる時

残酷と絶望感を感じている



自分が自分たらしめるもの

という言葉に反応して



自分がコツコツと積み上げてきたものは

いったいなんなのだろうか

と思えるくらい

無に感じているから



50歳から

伊能忠敬が歩いたことを

思えば

私が感じている絶望感や

焦燥感は甘えや逃げなのかもしれない



今からでも

いつでも

自分は変化出来るとは思いながらも



今までの時を

自分が得ているものを

何もなく感じてしまう



もう少し自分を見つめられたら

今なぜこんなにも

絶望しているのかは

見えてきそう



いつでも幸福の真ん中にいようとする自分は

あらゆる言い訳や

あらゆる挑戦を避けて



無理やり

幸福の真ん中にいようとしているような

感覚がある



無理やりそこが

幸福なんだよと

納得させようとするから



本当は納得できていない自分が

絶望感や焦燥感を

掘り出してくれてるような

感覚がある



ありがたさや

感謝を感じれなくなる自分は

嫌だけれど



それとはまた別に

自分の中の

やりたい、こうなりたい

殺してしまう自分を



もっともっとときめかせても

いいんだろうと思う









SNSアプリを消してみた

順調にコツコツ学んでる

英語学習


英語アプリをトップ画面にして。

FacebookとTwitter

TikTok、Instagramアプリを消して

スマホの画面を

結構シンプルにしてみた。



一日がめちゃ充実する



何となく見ていたものをやめると

今を生きてる間がすごい



英語学習が集中して進んで

作業になってた

家事とか子どもと公園に行く時間が



本気の気分転換になって



全てが

とても都合が良く充実してる



幸福感が、増えた



SNSは一概に良くないとは

言わないけど



打算的な習慣化されることが

自分にとってはデメリットになっていたのだと

気づく



このまま学習に躍進できるように

日々学習を積み上げたい





病んでいるのか私そのものなのか

外界で誰かに会うのがとても億劫で

繋がり合うことを

拒絶しているのだけど



誰かに会って

この状態から抜け出したくて

けど



会ったところで

孤独は変わらない



これは

病気特有の症状なのか

私の病気は

鬱に陥る人は多いとされてるけど



ここに関わってくるのか

単にセロトニンが出なくなってるのか…。

原因を追求したところで

答えは出ないのだろうけど



苦しみが

なんなのかわからないけど



ひとつひとつの

優しさに

救われたり



突き落とされたり



面倒なメンタル



子供の仕草や言葉

ひとつひとつで

とても救われる



今の私を救ってくれてるのは

子どもであり


私は子どもの身の回り

のことをして成長を手伝っているようで


本当は、私を成長させてくれているのだと

今の私を救ってくれているのだと思う



今しか見れない

子どもの成長を

じっくりと味わせてもらえる

本当は貴重な今なのだと

気付かされる



愛おしいなと

心は孤独で病んでるのかもしれないけど

愛おしさで触れる時間が

少しでもあるから

私は折れずにいられてるのではないかと思う



宝物





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