山と川と建物

 

 この頃忙しくて自分の時間がない。と言うか、時間があれば食って寝る。そもそも睡眠不足になり易いこの頃の生活の中では、時間があれば眠い方が先に立つので、本を読もうと思っていても読むまでに至らない。特に自分の愉しみで読む小説なんかは、ばっちりと目覚めている時に読みたいからだ。

 ところが今日ぽっかりと一日時間が空いた。これはたまたまバイト(ホテルの客室清掃)と、信仰のご奉仕の両方が入らなかったためなのだが、こんな日もあってもいいのではないだろうか。

 

 毎日忙しく動いている。自分で仕組んだ事か、流されてこうなったのかはわからないが、とにかく朝、昼、夜と用事がある。私達のする事は、例えばホテルの客室清掃にしたって、目的と方法が決まっている。まずは決められた通りに動かなければならない。新聞配達もしているがこちらはさらに単純である。決められた家に決められた新聞を入れさえすればいい。これなんかは将来ドローンで済むことかも知れない。とにかく単純である。

 他のこと、塾で生徒を教える、信仰の活動をする。これは単純ではないが、ある程度目的が決まっている。それがいけないのだろうか。とにかく縛られている…。

 

 自然界の物を見るとほっとするのは、彼らは縛られていない。草も木も自由に生え放題だ。それでいてちゃんと生き残るべきものは生き残り、そこに自然の調和がある。誰も無理をしていない。あるべきものはあり、消えるべきものは消える。

 

 人工は、人間の力で何とかしようとする。植物は何とかしようなんて考えない。ただあるがままに伸びて行く。邪魔するものがあれば枯れる。この、人為の世界に疲れた時、自然が心を慰めるのはそのためだろうか。

 

 ともかく我々は生きねばならない。自然の世界に心を慰められながらも、なおも人工的な構築物を作ろうとする…。

 

 人為と自然の中に、我々の生活はある。面倒くさくなった時は、自然の中に…。流れに任せ…。そうやってまた元気になったら、復活して、新たな意欲を燃やして…。

 

 そうやって人はまた生きて行くのだろうか…。