いじめ、あるいは対人恐怖症

 

 中3の男子生徒がいじめにあっていると言う。あることがきっかけで、その子のことをいやらしいと誰かが言いだした。それが徐々に広がって、今やよそのクラスまで、男子も女子も言い出した

 その子はうちの塾に来ていて、非常に優秀だが部活には入っていなく、そういう意味では友達は少ないかもしれない。このままだと県立のトップ校に入るのに間違いない子なのだが、今学校に行きたくないと、ここ最近休んでいる。あまり大っぴらにいじめられている訳ではなく、学校の先生も証拠がない限り注意もできないと言い、つまりは何もしてくれない。

 ある時女子が彼のかばんにつまづき、彼がその子の足を見ただけで、いやらしい、と言われた。陰で死ね、とかいう子もいるらしい。

 成績が良すぎて、やっかみではないかとも思うのだが、本人は自分がいけないことを言ったのが原因と言っており、自分の責任もあると思っている。

 だが、一体どうすればいいのか。足がつまづいて、見るな!と言われて、一体どうすればいいのだろう。

 

 実は私も中3の時に香川県高松市から愛媛県松山市に転校して来て、その雰囲気の違いに戸惑った。高松では「自主独立」と校訓で謳われ、生徒を半ば大人扱いして、生徒にいろんなことをやらせてくれた。それに比べて松山の学校は「きれいな学校」「静かな学校」何これ?何か数年前に荒れた学校になっていて、チャイムが鳴ったら、どこに居ても立ち止まって瞑想をする、ということを導入して、静かな学校、落ち着いた学校になったのだと言う。生徒はおとなしく、クラス会で意見を聞いても何も言わない。そのくせ何かを決めると、後でごちゃごちゃ言う。表立って反抗しないくせに、裏に回ったら不平たらたら、いろんな事を言うのだ。

 そんな島国根性まる出しの松山で、優等生で何事も積極的にリーダーシップを取っていた私は、次第に不信になって来た。私は自分を疑い出したのである。

「僕って自信過剰じゃない?」そんなことを友達に聞いていたのを思い出す。

 

 それから、私は視線恐怖症になり、何を言ったらいいか分からなくなり、対人恐怖症になった。母親に「松山の人は何を考えているのかわからない。」と言っていた。母は「松山の人はいい人が多いのよ。気にする事はないのよ。」と言うが、気になりだしたらどうしようもないのである。私は自信喪失になり、対人恐怖症になり、そのあげく、中3の後半で勉強する習慣が無くなり、進学校の高校に合格してからは、勉強の習慣が無くなっていたので、成績がトップレベルから一気に下の方に落ちた。そしてその成績は3年間で再びトップレベルになる事はなかった…。

 

 もったいないことをした。それから国立大学の工学部に進学したが、大学の理系の勉強について行けるだけの学力は無く、結局大学も中退してしまった。成績優秀で前途洋洋と見えた私の青年時代は、突然目の前で線路が消えているのを感じた…。

 

 今の塾生の中3生も、同じ危険をはらんでいる。親は転校も考えていると言う。私は解決しないのなら、さっさと転向した方がいいと言った。このいじめには実体は無い。その子がどんなに努力しても、いじめはなくならない。一度何かの腹いせに標的にされてしまったのに、理由などないのだ。さっさと環境を変えた方がいい。

 

 せっかくの優秀な成績が、これから本物の学問を身に付け、思う通りのキャリアを身に付けられるそのスタートの時点で、無用な自信喪失、ノイローゼに陥る必要は無い…。だが気になりだしたらどうしようもない。それは、勉強どころではなくなるのである…。このような無言の圧力、同調圧力は、この優秀な生徒すら潰してしまえるのである…。

 

 私はその自信喪失から立ち直るのに、8年もかかった。大学の5年目の時(私は留年して5年目3年生だった)、友達と南紀を旅行していて、ある山の上の林の中で、「焦らなくていいんだ。今の自分のままでいいんだ。」ということを信じた。それはそれまでの過程もあっただろうが、最終的に、「そう思えた自分を信じる」ことにしたのである。

 

 自分は自分でしかない。それはノイローゼになる前の素直な自分、自分が好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それを素直に認める。そして、基本は、「やりたいことをやる。」自分の本能を信じる。道徳は後で出て来る。人とぶつかったときだけ考えれば良い。基本は「自分のやりたいことをする。」それが本能に基づいた一番正直な生き方で、それがわからなくなったら、自分には何も無くなるのである。だから、「この自分のままで行こう」と思えた瞬間は、私にとっては重要だった―。そしてそれから何十年、このことに関しては迷ったことは無い。人がどう言おうと、自分は自分の信じた道を行く。人によって自分の意見を変えようとは思わない。

 それはもちろん、強く主張するか、深く静かに潜航するか、自分の立場の出し方は考えるが、基本自分の意見を変える必要は認めない。人がこう言うからこうすると言うのは、体制順応型、要するに権力に弱いだけなのである。

 

 少年よ。自信を持て。お前はちっとも悪くない。そしてそんな根も葉もないいじめやうわさに負けるぐらいなら、さっさと環境を変えてしまえ。お前の優秀さとその向学心を、認めてくれる人達のいる環境で、誰にも邪魔されること無く、大きな未来を目指して欲しい。さもないと、人間は簡単に挫折してしまうのである…。