「新聞老年」

 

   新聞配達を始めた。収入と支出を計算してみるとどうしても毎月5万円ばかり足りない。5万円とは少々節約しても間に合わない金額である。

 ある日、礼拝所に行くと幼稚園のバスの送迎をしている大柄なHさんが、「僕新聞配達を始めたんスよ。」と言った。「これだ。」と思った。

 

 今まで考えたことはあったが、アルバイト情報誌を見ても新聞配達は1、2件しかなく、ホテルの客室清掃のバイトを週5回して、塾も毎日していたから、ホテルを辞めないと無理だと思っていた。しかし今はホテルも週3回まで減らしたし、塾で寝てしまって、3時頃起きていることが多い。時間的には無理ではないと思われる。この際緊急事態だ。やらなければ借金だけが溜まり、塾は続けられないことになる。まだ、それはいやだ…。

 まずアルバイト情報誌を探したが、何とコンビニにもバス停にもアルバイト情報誌が無い。何とここ2、3年の間にあの無料で持って帰れる情報誌、「アルパ」とか、「就職情報」とかが無くなっているのである。これは気がつかなかった。そうして、ネットで調べたら、市内でいくらでも新聞配達の募集があるのである…。

 

 世の中変わってしまったのだ…。そこで早速、同じ市内で一番家に近い区域の募集が載っていた販売店に電話をかけた。1名空いていると言う。早速翌日の夕方面接の予約をし、出かけて行くと、履歴書などさっと見るだけで、即新聞配達の要領の説明が始まった。店長は30ぐらいの若い兄ちゃんだったが、説明はとても丁寧で、優しく、「覚えるまでゆっくりやってもらっていいんですよ。いくらかかっても構いませんから。」と言う。早速翌週の水曜日からスタートということになった…。ちなみに私は68歳にして生涯初の、新聞配達である。

 

 朝4時半に、家からバイクで10分もかからない営業所に着くと、60過ぎぐらいの小柄で俊敏そうなおじさんが待っていた。その人について行くのである。「おはようございます。よろしくお願いします。」「おう、着いておいで。」

おっさんも私も自転車である。初日は道と家を覚えるだけだった。前もって地図を渡されているが、入れる家と地図がなかなか一致しない。しかし、今まで何度も信仰のパンフレットを入れたことのある地域で、塾の通勤範囲なので、道はすぐに覚えられた。その内少しずつポストに入れて行くようになり、最後はおっさんが後ろから着いて来て、私が全部入れるのをチェックするというようになった。「自分が入れないと寒いなあ。」とおじさんは言っていた。そして時々煙草を吸っていた。おじさんは私より先に息切れし、私はホテルのバイトで鍛えているので、全く息切れはしなかった。

 

 5日目の日曜日、暇だったので夕方、地図を見ながらもう一度自分で全部の家を確認した。入れる家は89軒あった。日が暮れて来て、家の前で地図と表札を確認していると、そこの御主人が出て来て、何をしてるんだ、と言うから、新聞配達の確認をしています、と言うと、怪しいから警察に捕まるぞ、と言われた。そこはSさんの家で、新聞を入れる家だったから、それで覚えた。

 

 その日の朝、おっさんに「95%は覚えたな。」と言われたが、自分は実質まだ90%も覚えていないと思った。褒めて伸ばす作戦だと思った。配る前に必ず一回は地図を見て、前の日の復習をするようにしていた。

 

 6日目は、前の日に全て確認したので、ほとんど間違いがなかった。「2軒だけだな。98%だ。」と言われた。7日目は休みで、8日目に「100%だ」と言われた。

 

 実質7日で覚えられ、9日目からは一人で行くようになった。おっさんと2人で行った時には、「ここは珍しく鶏が鳴く家。」「猫が2、3匹寄って来るが前の人が餌をやっていたから、その人は辞めさせられた。」とか、いろいろ教えてくれた。

 

 一人になってもう4日になる。最初の2日は入れ忘れがあり、新聞が2部とか1部余ったが、地図を見直すと入れてない家がすぐにわかった。後の2日は完璧だった。一人になると、何せ朝の4時からだから真っ暗だし、また奥まった住宅街で暗い。そして犬に2カ所吠えられるのと、鶏が鳴くだけで、ほとんど誰にも会わない。新聞配達って、意外とすぐに覚えられ技術も要らないが、孤独で地味な作業だなと思う。睡眠不足で、ホテルで連続で働くと、えらく作業がきつかった。

 

 嫁にはなぜ新聞配達をするのか追求されたので、借金をばらすと、「離婚する。」とか相当騒がれたが、今は借金の終わるのが、コピー機のローンで4年後なので、「後4年、頑張ってね。」と笑って言われる。私は4年と言わないでくれと言う。気が重くなるから。今は塾を続けるという夢に向かって毎日懸命に生きているのだ…。