またまた俳句(川柳)を作りました。

 

頂上は今日もアゲハのお出迎え
岩多き頂上はまた静かなり
道のなき渓に難儀す道ありがたき
人力の及ぶ渓なり猿のごと
猿渡りせんと思えど足滑る

娘の初部屋は見晴らし悪しビルの中
フローリングの床冷たくてマンション臭
カーテンもソファーベッドもまだ付かず
白壁はプロジェクターを見るつもり
鍋釜も役に立つやら戻るやら

父が死に姉はあわてて母泣けり
人死にてなんの慌てる事あらん
禅宗の人なら死ぬは常ならむ

人死にてめでたく思うこともあり
93まで生きてコロリと死に往けり
世の人に惜しまれ病まず憎まれず
人のことなればかくも平常心
我もまた死ぬとは真に信じざる

 

 

宇宙をぼくの手の上に

 

ー「宇宙創成 上」 サイモン・シン著を読んでー

 

 

 

 ハッブル(1889~1953年)は嫌なやつだった。2年間のイギリス留学ですっかりイギリスかぶれをし、これ見よがしにイギリスなまりで話し、ステッキを持ち、パイプをくゆらせた。この当時も今も、宇宙の神秘の扉を真っ先に開くためには、できるだけ良い望遠鏡で宇宙を観測することが必要だった。

 天文学で大きな成功を収めるために、ハッブルはカリフォル二アのウィルソン山を目指すべきだった。そこには当時最大級の60インチ望遠鏡が装備され、間もなく世界最大の100インチ望遠鏡も完成する予定だった。そして希望通り、既に博士号を取り立派な仕事をしていた彼は、ウィルソン天文台に職員として呼んでもらえることになった。

 そのウィルソン天文台では、先輩のシャプリーとはことごとく意見が対立した。しかも個性が正反対で、ハッブルはイギリスかぶれで、きざで目立ちたがり屋だった。間もなくシャプリーは他の天文台の台長となり、ウィルソン山を去り二つの個性のぶつかり合いは終わった…。

 しかしこの天文台を去ったことは、研究においてシャプリーの敗北を意味していた。なぜなら今後40年に渡ってウィルソン山天文台は世界の天文研究を引っ張って行くことになるからである。

 ウィルソン山に残ったハッブルは、その後天文学の歴史を変える最大の発見を積み重ねて行くこととなる。

 

 もちろんすべてがハッブルひとりの発見ではない。ハッブルが発見した最大の成果、宇宙の大きさを決定づける発見は、リーヴィット女史の発想が元になっている。リービット女史は変光星の膨大な観測から、変光星の明るさの変化する周期と実際の明るさとが比例関係にあることを発見したのだ。この原理を応用して、その当時、ついに宇宙は銀河系大の大きさである事がわかった。

 しかし、その当時いろいろな星雲が果たして銀河系の中にあるただの星屑か、それとも銀河系に匹敵する非常に遠くにある銀河なのかが、全くわからなかった。

 

 ハッブルはその巨大望遠鏡と写真フィルムに長時間かけて感光させる方法によって、弱い光の星雲の中にも変光星を見つけ、その変光星によって、星雲までの距離を測定することに成功したのである。これにより星雲は銀河に匹敵する巨大な島宇宙で、宇宙はそれまでの何千倍何万倍ものかなたまで広がっていることがわかったのである。

 

 ハッブルは、これらの成果により世界最高の天文学者として社交界の花形になったばかりでなく、実にもう一つの驚異的な発見をするのである。

 ハッブルを助けたのは、ベルボーイから身を起こしたヒューメイソン青年だった。彼はひたすら星雲の写真映像を撮り続けた。天文観測は体力勝負のところがあり、並大抵の努力、体力では続けられないものなのである。

 この頃、アインシュタインの宇宙モデルでは、重力の力で宇宙はやがて集束し、一点に集まってしまうことになってしまうのだった。アインシュタインはそれを嫌い、宇宙定数という特別な数値を仮定することにより、宇宙は永遠に昔も今も変わりなく今のままであるということを信じていた。

 しかし、フリードマンという数学者は、宇宙は一点から爆発で出発し、すごい速度で破裂しているという初速度を設定することにより、この重力による矛盾は解消されると計算した。だが彼の考え方は当時あまり支持されなかった。

 

 ハッブルの二つ目の革命的発見にも先覚者がいた。それはハギング夫妻による。光に関するドップラー効果により、移動している星はその光のスペクトルがわずかにずれることを発見したのである。そして夫妻は恒星の移動速度を計算した。

 ハッブルはこれをあらゆる星について分析し、ついに最も遠い星雲までのデータを調べた結果、これが地球から遠い星程、早い速度で地球から遠ざかっていることがきれいな正比例のグラフの形で証明されてしまったのである…。

 

 この事で、宇宙はアインシュタインが期待した恒常的に変わらない宇宙ではなく、ある時点から爆発的に膨張して行ったビッグバン宇宙モデルが正当性を持つことになったのである。

 

 この宇宙の大きさを決めた事、宇宙が膨張しているという事を証明したという、二大革命的大発見をしたハッブルは、実にそれまでの様々な研究の成果を大きく結実させたまさに強運の持ち主であると言えるだろう。しかしこの天文学者はノーベル賞を一つももらうことなく、(ノーベル賞には天文学賞がなかったことにもよるかも。)心筋梗塞で63歳で亡くなった。

 

 天文学の歴史は、本当にこのわずかな光を投げかけている星星を熱心に見つめ続けた人類の情熱と、英知の積み重ねで、少しづつ少しづつ開かれて行ったのである。その素晴らしい英知と努力の素晴らしさが、この本を読むと非常によくわかる。そして、その天文学者達の意外なほど人間的な姿にも…。