「信用」って何なんだろう?
って考えてみるとき、私が思うのは、
「自分の描いた風景と、相手が描いた風景が一致している」
と感じることなんじゃなかと思う。
そういう意味ではそれは私のとても苦手なことで、
何しろ相手が何を考えているのか、
咄嗟にそれを読み取る能力が低い方なので、
自分の判断力に自信を持てない。
自分の判断力に自信を持てない分、私はいっぱい考える。
相手の立場も、気持ちも、いっぱいいっぱい考える。
「信用する」なんて気軽に言えない。
だって、分かんないんだもん。
だけどね、分かんないなりに時間をかけていっぱい考えていくと、だんだんと相手の行動や思考も見えてくる。
そして思う。すぐに相手の事を分かってあげられなかった自分の無能さ。
自己嫌悪。
ずれがあるだろう、というのは想定内。
だから私は信用しない。
相手の描いている風景を、私がきちんと見れているということを、信用しない。
それは人間不信というのとも違う。
どちらかというと、自分不信だと思う。
相手に断られたりすることで、私はがっかりはするけど、それに対して恐怖はない。
私の理解が足りなかっただけ。
むしろ、相手に断らせるという苦痛を与えてしまったことが、申し訳なく思う。
自分はアンバランスな人間だと思う。
社会の価値観を拾い集めて、理解は出来ないけど、取りあえずそれに身を固め、でも中に抱えた衝動が時々飛び出す。
それは自由で快楽的な瞬間だけど、社会から外れるのはやだ。
私がやだというより、私の性で、私の周りに人に迷惑をかけてしまうのがすごいやだ。
周りの人間が、私に何を期待しているか、分かる。
それに応えたいとすごく思う。
その人を愛していようが愛していなかろうが、そういうのは関係ない。
ただ期待には応えたい。
自分の無能さが少しかき消されるような快感があるから。
人はそうやって私を信用していくのがわかる。
彼らの描いた私自身を演じているんだから。
うれしいとか、楽しいとか、そういう感情の為じゃない。
どちらかというと、苦痛を取り除きたい、そういうことだと思う。
自分が死なないように、そうしているんだと思う。
信用があるから生きていける気がする。