リンクしたこの記事からの続編です✧.*˚‧
我が家が大変だった、当時のことを綴ったついでに(笑)
復活スタートした日のことも、我が家の歴史アルバムには
大切な想い出なので、記録しておきたいと思います♪(^▽^)b
1980年6月パパりんは脱サラをして、義弟と共に商事会社を起業しました。
宅建主任の資格を取り、不動産業もがんばり、パパりんと義弟の名前を
1文字ずつ入れた明洋ハイツという団地も造成して、売却していました。
景気がいい時は、オープンセレモニーの風船を、家族ぐるみで
作って、お客様に手渡したりした楽しい想い出もいっぱいです
まもなくバブルがはじけ、世の中も大変なことになりました
15年間、頑張ってきたパパりんの会社も、もろにその煽りを受け
経営不振になり、収入も激減してしまい、会社経営の過度な
ストレスから鬱状態にもなり、著しく体調を崩してしまいました。
1995年5月、持病の喘息が悪化して、かかりつけの医院に点滴と
吸入をしてもらいに行った日に、点滴中に呼吸困難になってしまい
救急車で総合病院に搬入されました☆
酸素呼吸器を装着されて、ステロイドのパルス療法を受けましたが
息も絶え絶えで、顔面蒼白でチアノーゼも出ている程の重症でした
「これ以上の治療法はもうないので、今日〜明日が峠かと…
後は、ご本人の生命力と頑張りに期待するしかないです。」
大きな病院に搬送されたのだから、何とかしてくれると信じて
いたのに、最悪な宣告を受けて、家族は大パニックでした
急遽!親兄弟に連絡しましたが、駆けつけてくれたみんなも
パパりんの病状に驚いて声も出ず…見守ることと祈るしかない
状態で…ひたすら祈ってくれました(*_ _)人☆人(_ _*)
パルス治療3日目頃から、何とか呼吸ができるようになって
危機を脱して、やっとひと安心できました♪¨̮ε-(´∀`*)ホッ!
きっと神様から定められた天命ではなかったことと
まだ、この世にお役目があるから生かされたのかもですが…
私は、身内のみんなが、真摯に祈ってくれたパワーが
パパりんを救ってくれたと、かたく信じています
この体験で、学んだことは、大病院の医師は、まずは最悪の場合の
ことから説明されますが、鵜呑みにして絶望しない!ことでした。
そして、真摯な祈りは必ず!届くということも実体験できました
大量のステロイドを体に入れた副作用か、夜は点滴の周りとか
ベッド周りに蟻が群がってきて怖いという、せん妄による幻覚が
あったりもして大変でしたが…それも日にちが経つ毎に治ってきて
1週間後には、一般病棟に移されました(v´∀`)ハ(´∀`v)ヤッタネ☆
やっと笑える状態になった日の、スナップ写真があったので
記録アップしておきますね♪(^▽^)b
毎日、学校帰りに病院に寄ってくれていた元気な頃の武です
ひょうきんな息子だったので、どんなに大変な時でもユーモアを
忘れずに笑わせてくれて(笑)その場を明るくしてくれていました
まだ覇気がないパパりんだけど、武の冗談に微笑んでいました
「父さん、よく頑張ったね」と武から褒められたパパりん
この入院の時は、私は満47歳で、パパりんは満48歳でした。
この日は、まだ完治してなかった頃なので、笑顔がでなくて(^^;)ゞ
2人ともまだ、不安そうな表情をしてますね♪(*^m^*)
ここに娘が写っていませんが、彼女は大学卒業後、夕方6時からの
ダンス教室を続けられる条件を、承諾してくれた会社に入社して
お仕事とダンスを両立させて頑張っていました。(๑•̀ㅂ•́)و✧
我が家が窮状の時は、お給料を家に入れてくれて
家計も助けてくれていました(ㅅ´ ˘ `)♡
母から、そっと手渡された封筒には「くよくよしないで頑張れ!」
というメモと共に、入院費の足しにと10万円が入っていました
当時の私には、そんな親心がありがたかったです(ღ˘⌣˘ღ)
喘息大発作から命拾いしたパパりんは、16日間の入院後
心身共に元気になって、退院することができました。٩( ´◡` )( ´◡` )۶
若い頃からヘビースモーカーで 何度お願いしても 禁煙できなかった
彼でしたが… 死にかけた喘息発作の体験で やっと!「これからは
本気で禁煙する」と誓ってくれたことが 何より良かったことでした⋆.·♡
結婚後、初めて体験したどん底の風景を、憶えておこうと
撮っていた写真ですが…今回、冷静に振り返ってみれば
どん底でも何でもなかったことに 気付かされました♪(^▽^)b
確かに会社は経営不振だったけど、パパりんは命拾いしたし
武もまだこんなにも元気だったし、娘も好きなダンスの道を
諦めることなく、夢に向かって順調に歩めていました
よく考えたら、我が家はまだ、何も失ってはいませんでした。
だって『生きてるだけで丸儲け』ですものね(⁎^ᴗ^⁎)
あの頃は、今がどん底なんだと勘違いしていたけど…こんなにも
多くの幸せに恵まれていたのに、気付けなかっただけでした┐( ^ ^;)┌
当時の私は…パパりんがなかなか手放すことができなかった会社から
早く彼を解き放してあげたかったし、夫婦で頑張れる新しい仕事を
探してスタートしょうと、やる気満々で燃えていました。
ここからが、未来に向かっての復活スタートが始まりました
カバー画像にはノコギリソウをアップしました。
花言葉は「戦い」「勇敢」「治癒」ꕤ。.:*復活決意の
この記事には、ぴったりだと思いましたから(笑)(v^▽^)