どうもこんにちは。
前回の初心者向けの記事が思ったより評判が良くて
『やれやれー!もっとやっちまえー!』
と言われ調子に乗っている
TiTO(絶賛体重増量中)です。
今回は先日書いた記事を
少し深掘りしていく内容になります。
今回もユーザーの皆様からDMで頂いた質問を交えつつ
ダーツ普及の最前線に立つ現役ショップスタッフが解説します。
⚠注意事項⚠
この記事に書いてある内容は『いろいろある説の中で最も有力と言われているダーツの歴史』を記載してあります、正しいかは神のみぞ知る情報なので、あくまで参考程度にお読み下さい。
🔽今回掘り下げるのはコチラ🔽
これは自分もダーツ始めたころに気になった事です。
- ダーツの発祥は?
- なんでダーツって言うの?
- ダーツと言う単語はどこまでの事を指すの?道具の事じゃないの?
のような疑問ですね。
以前の記事で答えた内容はコチラ↓
取り敢えずこれを知っておけば、ドヤ顔でダーツを説明する事が可能ですが・・・
今回は、現在も議論が続いている発祥についての話題をより深く、ふか~く解説できたら・・・と思っているだけです。
歴史は古く遥か昔600年以上前、14世紀のイギリスから誕生したと言われている《ダーツ》。
その当時、イギリスでは100年戦争と言われる長い争いが起こっており、その戦いに参加していた兵士たちが行った軍事娯楽が起源と言う説が一番有力です。
この行為が、始まりだったそうな。
毎日同じ練習を続ける兵士たちにとってこの手投げ矢は、新たな刺激が貰えるいい息抜きだったんでしょうね。
これが徐々にこのように変化していきました。
最初は娯楽(兵士たちの遊び)だったこの行為が、腕前を競い合う競技となり始めていました。
この兵士たちが楽しそうに行っていた”矢投げ”
当然目立たないはずがなく、当時の役人に目をつけられました。
兵士たちは怒られるかと思いきや役人はこう言います。
「狙いと投げ方のスキルを練習するための効果的な方法だ!」
逆に兵士たちにこの娯楽を勧め、積極的に参加させていたそうです。
結果、兵士たちに息抜きさせながら投擲スキルや命中率アップのための訓練を行わせることが出来たのです。まさに一石二鳥。
これが進化に進化を重ねていって、ダーツ(DARTS)と言う競技の誕生につながったんですね。
元は弓の矢を手で持って投げていた軍事娯楽。
当初は屋外で行われていた手投げ矢でしたが、当時のイギリス(イングランド)は悪天候なのは誰もが知っていたため屋内競技へと移行していくのに時間はかかりませんでした。
ある程度のスペースがあればプレイできる屋内競技へと変化。
これ、普通に考えて酒場からしたらいい迷惑ですよね(笑)
結果、貴重なタルが不足する事態に(当たり前)
この問題を解消するべく、ある革新的な思いつきをした天才Darterが居ました。
「木の幹をスライスして的にしちゃえばイイジャーン!」
このアイデアはすぐ採用され、結果的に年輪がターゲット(的)の役割を果たしました。
さらにスライスされた木の幹は矢を投げ続けられたことによりヒビが入り、さらに細かくターゲットが分割されました。
これが現在普及しているダーツボードの原型となったと言われています。
この偶然入ったヒビが
『ど真ん中だけでは無く、その他の部分も狙う意味を持たせた』
という副産物を生んだんですね。
ダーツはここから躍進を遂げます。
多くの人が自分で短い矢(マイダーツ)を作り始め、それを酒場に持って行き、友達に挑戦し開発した素晴らしいスキルを披露しあったんです。
これだけ流行り始めると、ニュースは上流階級の貴族たちにも届きます。
自分の力を誇示したい貴族にとって、この競技はハートにぶっ刺さったようでもう大人気。
当時の王であったヘンリー8世でさえ、この新しいゲームに感銘を受けのめりこむほどでした。
彼の2番目の妻であるアンブーリンは好意を勝ち取るために、精巧に装飾されたダーツを送ったとも言われています。
そしてダーツはイギリスの巡礼者が、海を越えてアメリカに向かう航海の際、息抜きのためにダーツを持って行ったとされ、世界へ広まることになります。
近代といっても1800年代頃。
ダーツは多くの人々に広まり、進化を続けていました。
その進化の内の1つに1844年に誕生した「パフ アンド ダート」と呼ばれるゲームが存在します。
これは『吹き矢を使ってダーツをボードに刺す』という新しいタイプのゲームでした。
しかし、ある事故が起きました。
ロンドンのとある客が吹き矢を誤って思いっきり吸ってしまったんです。
吸い込まれた矢は消化器に突き刺さった結果、彼は数日後に死亡しました。
結果このゲームはすぐに禁止されたようです。
実は18~19世紀まではダーツボードの種類は多数存在し、明確なルールは存在していませんでした。
職人たちがいろいろなデザインのダーツボードを製作。
当時はナンバーの位置すらこれと言った決まりが無く、自由度MAX。
いま一般的に使われているダーツボードとはだいぶ違いますね。
今ではこれが一般的で、不思議に感じないこの数字の順番。
いったい誰が思いついたんでしょう?
ある説では
『イギリス ランカシャー出身のブライアン・ガムリンという大工が考案した』
という話が一般的に出回っているんですが、これには異議が唱えられています。
実はこの数字の並びを考案したのはランカシャー出身のガムリンではなく、ヨークシャー出身のトーマス・ウィリアム・バックル氏なのではないかと・・・
(↑トーマス氏)
この説は細かい事を書くと書ききるのに3日くらい必要になるので割愛しますが、正直これが一番可能性が高い説だと思われます。
彼はこのLondon five ダーツボードというボードを改造
(5の倍数で20、15、5の番号が付いた12のセグメントを持つダーツボード)
そこでYorkshireダーツボードの原型が誕生しました。
これは彼の出身地であるヨークシャーが関係しているのではないかと考えられます。
数字を1~20と細分化し、単純な数字順ではなく高い点数のサイドには低い得点を配置する事でより競技性の高いものに。
結果としてこの並びはダーツと言う競技に絶妙な難しさと楽しさを与えました。
中央には50点のブルのみ、外側には2倍のダブルリングを配置しているのが特徴。
今のボードのようなトリプルやアウターブルはなかったんですね。
バックルの発明は当然のことながら、すぐに地元のパブで広まり、街全体に広まりました。
(後にこのダーツボードにトリプルリングとアウターブルを搭載させた神が居たようですが、残念ながら誰かは不明です。)
ここから徐々に徐々にダーツは進化
最後はちょっと詰めこんだ感じになりましたが、これが近代までのダーツの歴史です。
これはあくまで雑学なので知らなくても良いですが、実はダーツは1900年初頭に法律で禁止されそうになったんです。
理由は・・・
という法律が出来た為です。いわゆる運ゲー禁止令。
ギャンブルなどが禁止になる中で、ダーツもそのカテゴリーに入れられそうになっていました。
そんな中、救世主が現れます。
1908年、ヨークシャー出身のパブのオーナー、フット・アナキン(Foot Anakin)という人物が、自身の店でダーツをプレイすることを許可したとして裁判にかけられました。
彼は裁判にこのような異議を唱えました。
「ダーツは運のゲームではない、スキルのゲームである」と。
この異議を唱えるために彼は法廷にダーツボードを設置、20のナンバーに3本のダーツを全て入れたことで自身のスキルを証明しました。
それを目の当たりにした裁判官は
「ダーツは実際にスキルのゲームだ」 と裁定し、訴訟を却下しました。見事に彼はダーツの未来を守ったのです。
この判決によりダーツと言うゲームはさらに盛り上がりを見せることとなります。
もしも彼がこの時、裁判官たちを納得させられなかったら今のダーツは無かったかもしれません。
いかがだったでしょうか?
今回はダーツの歴史を初心者の方に少しでも知って頂ければと思い、記事にしました。
実はダーツの歴史に関しては諸説ある為、正確な情報が未だに分かっていません。
でも今分かっている事をなるべく最新の情報としてまとめました。少しでも参考になれば嬉しいです。
これで皆にドヤ顔出来ますね
最後に宣伝になってしまいますが
全国に展開しているダーツショップTiTOには
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