2023年2月JAXAは、宇宙飛行士候補の選抜者2名(諏訪さん、米田さん)を発表しました。選抜された2名は、今後2年間の基礎訓練を経て、訓練結果の評価によりJAXA宇宙飛行士に認定されるそうです。
民間人も宇宙に行く時代になっていますが、犬は今から70年以上も前に宇宙を飛んでいます。
旧ソ連のデジクとツィガンは、1951年に初めて大気圏外に出た犬です。
2頭はロケットで打ち上げられ、大気圏の先端の高度100キロメートルまで達した後、射出座席でロケットから切り離され、2頭とも無事無傷で帰還しました。
犬は知能が高く順応性があり、長時間動かない状態にも耐えられ、体の構造もラットやマウスなどより人間に近く、さらにソ連は、当時アメリカと競っていた宇宙開発技術の宣伝効果のために、飛行士として注目される犬を選択したそうです。
ソ連の宇宙開発事業は継続し、1957年スプートニク2号で、ライカ犬が地球で生まれた生物として初めて地球軌道を飛行しました。
ライカは、サモエドとテリアの血が混じった雑種犬の雌犬でした。
『犬があなたをこう変える 2011年文藝春秋発行』の著者スタンレー・コレンによると、ソ連の宇宙計画で使われた犬はすべてモスクワの街で拾われた野良犬で、人間の家での暮らしを知らない犬だったそうです。
そうした犬の方が、恵まれた日常生活に慣れた犬より、宇宙旅行の厳しい極限状態に耐えられると思われたのだそうです。
犬たちは訓練として小さな箱に閉じ込められ、ロケットが発射するときと同じ爆音と振動を与えられながら、宇宙服を着てじっと動かずにいる訓練を受けたそうです。
そして、自動給餌器からゼリー状の宇宙食を食べ、液体補給器から水を飲むことも学びました。
雌犬が選ばれたのは、排泄のときに片足を上げる必要がなく、排泄物を採取する器具の設計がしやすかったからでした。
ライカは、宇宙空間で4日間過ごした後、最後の食事にまぜた毒で安楽死させたとされていましたが、2002年ロシアは、宇宙船の故障による高温とストレスにより、ライカはロケット打ち上げ後5時間後に死んでいたことを公表しました。
当時この事実が伏せられたのは、宇宙開発の非難を回避するためのソ連の宣伝工作の一部でした。
ライカの死にかかわった科学者の一人、オレグ・ガツェンコは、「時間が経ては経つほど、私は胸が痛んだ。この実験でえられた成果も、犬の死を正当化することはできない」と語ったそうです。
一方アメリカは、宇宙計画で一度も犬を使いませんでした。
アメリカは、心理面でも行動面でも人間に近いサルを実験に使いました。
その理由として、ライカが飛行中に死んだことを知った大衆の憤りが激しかったことも挙げているそうです。
その後も宇宙開発競争でソ連はアメリカをリードし続け、1960年のスプートニク5号でベルカとストレルカを打ち上げ、2頭は地球軌道にまる一日滞在した後、帰還カプセルで無事帰還し、宇宙飛行で生還した最初の生き物になりました。
ストレルカはその後健康な子犬を6頭出産し、そのうちの1頭プーシンカは1961年米ソ初の首脳会談後、フルシチョフからジョン・F・ケネディの娘に贈られましたが、当時両国は冷戦下にあり、プーシンカはスパイ器具や細菌兵器が埋め込まれていないかなど、CIAから徹底的な検査を受けたそうです。
1966年のコスモス110号の打ち上げを最後に、ソ連の宇宙計画で犬が飛行実験に使われることはなくなりました。
その理由は、哺乳類が長時間宇宙に滞在しても安全であることが十分に証明されたからと公表されましたが、じつは犬が死ぬたびにソ連に対して猛烈な非難と抗議が集中し、それ以上の悪評を被りたくなかったからとも言われています。
ソ連は、このマイナスイメージを払拭するため、モスクワの宇宙博物館に宇宙犬を讃える恒久展示場を設けました。
ベルカとストレルカは剥製として保存され、ソ連の宇宙計画で飛行したすべての犬の名前が国家的英雄の称号とともにパネルに記されているそうです。
人間の場合、自分の意思で宇宙を飛ぶことを選択する訳ですが、宇宙飛行をした(させられた)犬たちは、訓練中や飛行中どんなことを考えていたのでしょうか。
今を生きる犬たちは、目的意識や名誉欲などは持っていなかった訳で、何を想い苛烈な環境やストレスに耐えたのでしょうか。
宇宙開発計画を否定するつもりはありませんが、野良犬を選んだということも人間の思い込みと差別意識を感じ、愛犬家の一人としては胸が詰まる思いがします。
宇宙ってどこ?
ペルー・クスコの野良犬(2005年2月)