ティティは2014年7月1日に虹の橋のたもとに行きました。4月の初めに下痢をしたのが始まりでした。

前月までは元気に御岳山に上ったり公園に行ったりしていましたので、たまに起きる軽い下痢だと思い、かかりつけの獣医さんからお薬を処方してもらいました。

 

いつもなら一週間程度で治まっていたのですが軟便が続き、食餌や薬を変えても下痢が治まりませんでしたので、主治医に検査設備のある動物病院を紹介してもらいました。

検査の結果は「免疫性小腸疾患」で、何らかのアレルギー物質が原因で自己免疫が暴走し小腸を攻撃してしまう病気ということで、療養食を処方されました。けれど便の状態は、一進一退でした。

ティティは療養食では食欲が湧かないようすで、食べる量も減っていきました。妻は毎日食べたもの(食べられたもの)と便の状態を記録し、ふたりで便の状態に一喜一憂していました。

 

そんな日が続いていたある日、ティティが外に出たがって庭の片隅の土を一心に掘り続けました。そのような行動はしたことがありませんでしたのでネットで調べてみると、痛みが我慢できない場合などに気を紛らす行動として起こるという記事があり、ティティがお腹の痛みが我慢できないのだと思い、可哀そうでしかたありませんでした。

 

さらに食欲が低下し、主治医に点滴をしてもらいながら流動食を注射器で食べさせるようにしていましたが、徐々に体力が低下し、歩くのもやっとの状態になりました。そして下痢を起こしてから約3か月後の7月1日、私が出社した直後にティティは妻の目の前で虹の橋のたもとに行きました。

 

「犬を飼う 谷口ジロー著 2002年小学館発行」というコミックがあります。子どもがいない夫婦が初めて犬(テリアと柴の雑種)を飼い、最期を看取るまでのお話です(以下、ネタバレ注意)。

タムと名付けた愛犬は、いつでも夫婦の真ん中にいました。タムが14歳を過ぎると脚の衰えから徐々に歩けなくなっていきます。なんとかハーネスで支えて散歩に連れ出していましたが、伏せている時間が長くなり、ある日ケイレンを起こして点滴でなんとか生きながらえる状態になります。

 

夫婦はそんなタムを見守るだけで何もしてやれませんでした。そしてタムの身体が点滴も受け付けなくなり、静かに息を引き取ります。最期に夫婦はガリガリにやせたタムの身体を拭いてやります。

 

「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと 2008年アメリカ製作」という映画を見ました(以下、ネタバレ注意)。

共にジャーナリストとして働く新婚夫婦のジョンとジェニーが、子どもを持つ自信をつけるため犬を飼うことを決意します。

ところが、やって来たラブラドール・レトリバーのマーリーは、手に負えないほどやんちゃでした。やがて子どもが生まれますが、マーリーのやんちゃぶりは収まりません。でも、マーリーを通してジョンは、コラムニストとしての自分の立ち位置を見つけます。そしてジェニーも子育てに苦労しながら、マーリーにときにはキレたりうんざりしたりしながらも愛情を注ぎます。

 

マーリーが老犬となり、ある日室内から姿を消します。家族は庭の木の下に腸捻転を起こして倒れているマーリーを発見し、獣医に駆け込みます。二度目の腸捻転を起こした時、獣医から回復の見込みがないと告げられた家族は安楽死を決断し、マーリーは病院でジョンの前で息を引き取ります。マーリーのお墓は庭に作られ、子供たちとお別れをします。

 

両作品とも愛犬の生涯を描いたものですが、二匹の愛犬の最期について日本と欧米の考え方の違いを感じました。

「犬を飼う」では、タム自身に自分の命の尽きる時間を選択させました。一方「マーリー」では、飼い主の家族がマーリーの命の尽きる時間を選択しました。

どちらも愛犬に対する深い愛情は変わりありませんが、愛犬に回復の見込みがないことを知ったとき、愛犬にこれ以上苦しい思いをさせないという決断をするかどうかの考え方の違いです。

 

私たちはティティ自身に命の尽きる時間を選択させました。そのときは、安楽死ということは言葉さえも浮かびませんでした。もし浮かんだとしても、私たちはティティを安楽死させる決断はできなかったと思います。

 

人の尊厳死も法律で認められている国がある欧米と、尊厳死についての議論もタブー視されているような日本では、愛犬の安楽死に対する考え方も大きく異なっていると思います。

最期まで諦めずに見守ってあげた、というのは飼い主の自己満足に過ぎないのかもしれませんが、愛犬の最期はどうあるべきかということについて正しい答えはなく、けっきょくは飼い主が決断するしかないのだと思います。