フラワーモチーフジュエリーブランド

セレンディップジュエルの

天生目理香(Nabatame Rika)です。

久々の投稿となってしまいました。
 
今年の夏は帰省もできず、どこにも行けず、自宅で過ごしました。私自身はコロナに感染しても大丈夫と思っても、患者様に大変な迷惑をかけてしまうと思うと、そうするしかなくて...。
 
ジュエリーの方も、昨年から予定していたこと、計画していたことが実施できずにいます。今年はスリランカにも行く予定でしたが、暫くは行けそうにないですね。
コロナウィルスの流行で、もっと大変な思いをしている方もたくさんいらっしゃると思います。
早くコロナウィルスが終息することを心から願いつつ・・・。今できる最大限のことを頑張りたいと思います。
 
 

このブログは今落ち込んでいて出口が見えない人に読んで頂きたくて書き始めたものですが、出口が見えている人も、落ち込んでいない人も読んで頂きありがとうございます。

 

 

 
胆のう炎 (40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2260日 ㊲)
 
 釧路から自宅に戻った翌日のことだった。
 
 大谷さんに教えていただいたことを一つ一つ思い返しながら、これからのことについて自室でイメージを膨らませていた。そんな時、長野の兄からの電話が鳴った。
 
 「お母さんが胆のう炎を併発してしまった。40度近い熱もあるんだ」
 
 交通事故による大怪我で入院中だった母の容態が再び悪化したという知らせだった。病棟も整形外科から消化器内科に変わったという。
 
 「え?! なんで?」
 順調な回復ぶりと聞いて安心しているところに、予想外の出来事だった。
 「やっぱり助からないのかもしれない…」
 そんな思いが心をよぎった。
 
 通常であれば、内視鏡で胆のうを取ってしまうのだが、事故後の手術の影響により、内視鏡の治療は難しい。胆のうにドレーンを入れ、とどまっている胆汁を外に出して経過を見るのが良いだろうと、医師から説明を受けたのだそうだ。
 
 事故後、食事もまだ十分に摂れず、粉砕骨折していた右足の2度目の手術を控えていた時期だった。
 
 高熱に耐えられる体力なんてないのに…
 粉砕骨折した足の手術はどうなるのだろうか…
 胆汁を外に出すことで良くなるといいのだけれど…
 
 母の様子が心配になり、また長野まで約300キロ以上の道のりを車で向かった。
 
 「順調に回復していたのに、こんなことになるなんて…。一体どこまで母を苦しめるのだろうか。どれだけの苦しみを味わっているか、わかっているのか」
 
 ハンドルを握りながら、事故の相手を恨むような気持ちがこみ上げてきた。
 
 「これまで一生懸命に真面目に生きていた人を、こんなに苦しませるなんて、許せない」
 
 4時間半ほど走って長野の病院に着いた。
 
 真夏の日差しが眩しかった。黒の帽子を深くかぶり直し、駐車場から病院の玄関まで歩いた。
 
 消化器内科病棟のナースステーションで病室を聞き、母の病室に入った。
 そこは2人部屋の個室で、カーテンでそれぞれのベッドが仕切られていた。
 
 カーテンを少し開け、「また来たよ」と声をかけた。
 母は私の顔を見て、力なく微かにほほ笑んだ。「今、ここに虫がいたんだ」。そう言うと母は眠ってしまった。
 
 明らかにおかしなことを口走る母のことが本当に心配になった。母と言葉を交わすことができた安心感よりも先に、不安な気持ちにさいなまれていた。
 
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