フラワーモチーフジュエリーブランド

セレンディップジュエルの

天生目理香(Nabatame Rika)です。

 

このブログは、今落ち込んでいて

出口が見えない人に読んでいただきたくて

書き始めたパーソナルStoryです。

 

 

はじめましての方へ

プロフィールはこちらから

 

 

 

 

水も飲めない (40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2620日 ③)

 

 

口の中がカラカラに乾いていた。
水を飲むと、また嘔吐。吐くものなんてないのに、胃の奥から突き上げるような症状が治まらなかった。2011年3月30日、40歳の誕生日の翌日のことだった。
下痢と嘔吐が続き、寝室のベッドとトイレを何度も往復していた。指先がしびれる感覚もあった。
 
限界だな、と思った。
 
職場でのストレスによるものだという事は十分過ぎるほど自覚していた。精神科を受診したことがなったので、迷いながらも自宅近くの内科クリニックに足を運んだ。
食べたり飲んだりすることさえできたら、少し元気が出るのではないか…。そう思ったからだ。
 
いくつかの問診の後、私の顔をのぞき込むようにして医師が言った。
「もしかして、何か大きなストレスがある?」
小さくうなずき、状況を簡単に説明した。
点滴の後、胃腸薬と精神安定剤が処方された。「これを飲んで良くならなかったら、心療内科を受診してください」。医師から最後にきっぱりと言われた。
「うん、分かってる」。内心そう思ったのをよく覚えている。
 
意図的に流されたデマや理不尽な仕打ち…。心身は「どん底」の状態だった。40代という新たなステージを迎える前向きな気持ちなど、持ちようがなかった。
 
その少し前、震災から数日後のことだった。
余震の続く中、職場の5階の部屋に職員約30人が集まった。新年度の役割分担を決める打ち合わせだった。
 
内容を詳細に記すことは、まだできない。だが、そこで交わされた職員の言葉と表情を見て、私の気持ちは決まった。
「この人たちに認めてもらえなくても、受け入れてもらえなくてもいい」
その時、私は不思議な表情をしていたらしい。「なぜ笑っていたの?」。後からそう聞かれて、初めて気づいた。
 
大震災でたくさんの死者と行方不明者が出て、今も苦しみの中にいる人が大勢いる。それなのに、その話し合いは打算や利己の入り混じったものに見えた。議論は、まるで他人事のように聞こえた。笑っていたように見えたとすれば、多分、その様子がとても滑稽に感じたからだと思う。
 
私は看護師として職場にいた。大学生の時にマザーテレサに憧れて、人のために尽くす看護師になりたいと志した。卒業後に学び直し、28歳でやっと就いた仕事だった。
だが、今、この場には、私が憧れていた職業人としての看護の精神はないと思った。
 
退職届を出したのは、その数日後のことだった。
 
自分の心身の状況を考えれば、もっと早く退職を選択すべきだったとは思う。
だが、看護師はどうしてもなりたかった職業だった。そして、未来への夢もあった。どんなにつらくても、簡単には捨てられない思いがあった。
 
職場を去る時、その先のことなど何も考えられなかった。ただ、自分を縛り付けていた全てが吹っ切れたような気がした。