櫛の葉
行きつけの店2店舗が、閉店する。
正確に言うと1店舗はすでに閉店していて1店舗が年内閉店だ。
閉店したのは苦楽園のBARでもう1店舗は西宮のイエローハット(カー用品店)だ。
俺も事業していて「今」会社の舵取り間違うと大変な事になるのは痛感している。
でも、だからこそ櫛の葉が欠けるように行きつけの店が減るのは寂しい。
理不尽に思うのは銀行などが莫大な不良債権を持っていても国は税金で助ける。
アメリカもサブプライムローンで同じ事をするが、市場原理に従うなら例外は止めて欲しい。
正確に言うと1店舗はすでに閉店していて1店舗が年内閉店だ。
閉店したのは苦楽園のBARでもう1店舗は西宮のイエローハット(カー用品店)だ。
俺も事業していて「今」会社の舵取り間違うと大変な事になるのは痛感している。
でも、だからこそ櫛の葉が欠けるように行きつけの店が減るのは寂しい。
理不尽に思うのは銀行などが莫大な不良債権を持っていても国は税金で助ける。
アメリカもサブプライムローンで同じ事をするが、市場原理に従うなら例外は止めて欲しい。
エコ徒然
エコブームと呼ぶのもおかしいが、生まれてこのかたこれ程エコエコ言われ出したのは初めてである。
地球温暖化は深刻なとこまできている。
京都議定書に批准していないアメリカに同盟関係にありながら何も言えないから情けない我が国。
でもこのエコムーブメント少し商用化に利用されている。
「エコだからお店の暖房、冷房は弱めです。なんせエコですから 笑」と経費節減する企業。
エコカー、エコバッグ、新幹線でエコ出張、そのうちエコ人間がもてはやされそうだ。
少ない食費でよく働きます。なんせエコですから、、、。
地球温暖化は深刻なとこまできている。
京都議定書に批准していないアメリカに同盟関係にありながら何も言えないから情けない我が国。
でもこのエコムーブメント少し商用化に利用されている。
「エコだからお店の暖房、冷房は弱めです。なんせエコですから 笑」と経費節減する企業。
エコカー、エコバッグ、新幹線でエコ出張、そのうちエコ人間がもてはやされそうだ。
少ない食費でよく働きます。なんせエコですから、、、。
表通りの憂鬱
神社の正しい参詣の仕方は
道の中央を避けて歩かなければならない。
中央は神様の道だからだ。
俗世では表通りの真ん中歩いてたヤツがなぜかパクられてる。
これでは子供に裏通りの歩き方教えなくてはならないではないか?
これが末法の世の姿か、、、。
道の中央を避けて歩かなければならない。
中央は神様の道だからだ。
俗世では表通りの真ん中歩いてたヤツがなぜかパクられてる。
これでは子供に裏通りの歩き方教えなくてはならないではないか?
これが末法の世の姿か、、、。
不釣り合いなプラス思考
プラス思考になれば成功する。これは子供の考えです。プラス思考で行動すれば成功
します。しかしほとんどの人はこの行動ができません。なぜなら、それは今までの自分
とあまりに不釣り合いだからです。
セルフイメージを変えれば、簡単に成功する。これも子供の考えることです。イメー
ジを変えただけでは、簡単には成功しません。
しかし、セルフイメージを新しいものに変えたらそれに向かって行動するのがとても
楽になります。だから、簡単に成功するのです。
Drモルツ
します。しかしほとんどの人はこの行動ができません。なぜなら、それは今までの自分
とあまりに不釣り合いだからです。
セルフイメージを変えれば、簡単に成功する。これも子供の考えることです。イメー
ジを変えただけでは、簡単には成功しません。
しかし、セルフイメージを新しいものに変えたらそれに向かって行動するのがとても
楽になります。だから、簡単に成功するのです。
Drモルツ
テレビと仏壇
テレビ、パソコンは仏壇であるという論文を読んだ。
その昔、仏壇は、日常の中にあって、非日常への回路だった。
その非日常の回路の前で、人はぐちったり、ぼやいたり、しみじみしたり、泣いたり、様々な感情を発露して、日常からいっとき、脱出した。
そして日本の家庭から仏壇が消えた時、テレビ、パソコンが非日常への回路の役割を担当している。
だからこそ、初期のテレビは、まるで仏壇のよう扉があり、重厚な造りで。木目だった。
そういう非日常の回路だからこそ、そこに展開されるものは、決して日常の確認であってはならず、うんとくだらなかったり、NG特集、2ちゃんねるのように非生産的でなければならないという論旨だ。
すごく要約してしまったが、日々Blogを更新しているのは、毎日非日常にワープしていると思うとなぜか少し哀しい気がしないでもない。
その昔、仏壇は、日常の中にあって、非日常への回路だった。
その非日常の回路の前で、人はぐちったり、ぼやいたり、しみじみしたり、泣いたり、様々な感情を発露して、日常からいっとき、脱出した。
そして日本の家庭から仏壇が消えた時、テレビ、パソコンが非日常への回路の役割を担当している。
だからこそ、初期のテレビは、まるで仏壇のよう扉があり、重厚な造りで。木目だった。
そういう非日常の回路だからこそ、そこに展開されるものは、決して日常の確認であってはならず、うんとくだらなかったり、NG特集、2ちゃんねるのように非生産的でなければならないという論旨だ。
すごく要約してしまったが、日々Blogを更新しているのは、毎日非日常にワープしていると思うとなぜか少し哀しい気がしないでもない。
Lady
すべての人に届く言葉を俺は持たない。
何か言えば必ず「それは違う」と誰かが言う。
でも気にすることはない。
問題は「あの人」に届くかどうかだけだ。
「あの人」にさえ届けば外野のブーイングも賛辞に聞こえる。
RYU
何か言えば必ず「それは違う」と誰かが言う。
でも気にすることはない。
問題は「あの人」に届くかどうかだけだ。
「あの人」にさえ届けば外野のブーイングも賛辞に聞こえる。
RYU


