凍裂  | RYUの生き方、逝き方

凍裂 

【凍裂】(大木が凍結して、弾けるように裂けること。セ氏零下25度以下で起こる。)

丸二年娘に会ってない。

俺は生まれてから一度も入院した事が無かったのだが、昨年は二度の入院を経験した。(
二度とも娘は病院に来なかった。)

二度目は手足がまったく動かなくなり救急搬送された。てっきり脳梗塞だと思い全身麻痺も覚悟したが、病名は「低カリウム血症」だった。病院に着いた時は、心電図にも異常があり危険な状態らしかった。婦長が病室に来て近親者を聞いた。何も知らない俺は、めんどくさいので、「認知症の母以外血縁者はいない」と言ったが、婦長は「病状が急変したり、もしもの事があった時に、近親者がいないと病院も困る」と言われたので、叔父、従兄弟、そして娘の連絡先を言った。

俺は、てっきり病状が悪化した時、近親者に連絡するものと思っていたが、すでに病状が危険だったので、病院はすぐに娘を含む係累に電話した。叔父と従兄弟はすぐに行くという話しだったが、娘の方は先妻が「どんな状況であろうと関係ないので、電話をしてこないで下さい」言い放ったそうだ。俺は病院がすぐに娘の方に電話した事もショックだっが、先妻の言動はまるで俺が先妻に会いたがっていると勘違いしている様な表現で、余計憤りを感じた。第一これでは死に目にも娘に会えないではないか、、、。

病室は手術した患者が一時的に利用するナースステイションの隣の回復室だった。手足が、ものの見事に動かない。箸も持てないので食事は看護師さんに助けてもらい、排尿も看護師さんの支えるおまるだった。自宅介護をしてきた母は、事情が事情なので、施設に預かってもらった。

この時には「もうどうにでもなれ」の心境で自分から手足が動かない理由を一切聞かなかった。また、脳梗塞で全身麻痺なら、あるがままを受け入れて生きようという甲東教会で教えてもらった「受容」の心も作用していた。

神は人間が底の底にいる時にこそ救って下さると礼拝で聞いたが、どん底で「受容」の心境になれたのも神の思(おぼ)し召しかも知れない。

長い間仕事をセーブして母親のアルツハイマー型認知症の自宅介護をしてきた。

もう限界だ。母は俺の事を自分の弟や父親と思っている。尿、便の失禁、夜中に土足で部屋中を徘徊する、意味不明の言葉、異物を食べるetc・・・・・

この2年、認知症の進行を遅らそうと小学校1年生の数学のドリルをやらせたり、日記を書かせたりしてきた。ある時、日記にこれまで世話になった人への感謝の言葉が1人1人にあった。その中に俺に名前はなかった。寂しかった・・・・・

母は生老病死を通し一環して母なのだろう。

俺は、母がいつ天に召されても決して後悔はしない。

後悔しているのは、ただ娘の成長をつぶさに見れなかった事である。

これは痛恨の極みだ。

心が折れる音がした。

                                        RYU







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