晩年 | RYUの生き方、逝き方

晩年

娘と6月2日~3日のお泊りから四ヶ月半会っていない。

娘の話しでは7月21日~22日に補習が無ければ行くという事だったが、先妻の弟が理由もなく「行かせられない」とメールで言ってきた。

5月から先妻は夫のいるアメリカに行き弟が保護者代わりになっているらしい事は知っていたが、弟の頭ごしに娘と直接お泊りの日を決めたのが弟の気に障ったらしい。

俺にしてみれば親子の話しなので直接決めればいいと思っていた。

調停で決まった月一度のお泊りの遵守を主張する俺と「自分は調停に出ていないので関係ない」と言う弟と話しは平行線だった。

そうこうするうちにアメリカの先妻から代理人(弁護士)をたてた旨のメールがきた。

何でもかんでもすぐ弁護士をたてる先妻のやり方に憤りを感じながら仕方なく代理人と話した。

代理人は「娘も会いたがっていないので面会交流の実現は無理だ」と言ってきた。

俺は「7月の宿泊日も娘から言ってきたのですよ」

と抗議したが進展は無かった。

仕方なく俺も代理人をたて裁判所に調停で決まった事の履行勧告を頼んだ。

そして人を介さない娘の真意を聞いてくれるよう頼んだ。

裁判所からの回答はショックだった。

裁判所の調査官に娘が直接俺に「会いたくない」と言ったそうなのだ。

娘は今住んでいるのは先妻の実家だ。

だからたまに電話で話す時も娘は時折声をひそめた。

俺からしたら完全アウェーの先妻の実家で真意を言えなかったのか、今の娘の真意なのかはかりきれない。


そして娘に会えないまま夏が終わった。

茫然自失の俺は今、自堕落に生きている。

母の介護は頑張ってしているが、虐待された母の面倒をみて、愛してやまない娘と会えない今の現実を不条理に感じる。

ふと生まれてこなければよかったと思った。

RYU