開かないドアの向こうに | RYUの生き方、逝き方

開かないドアの向こうに

一つのドアが閉まると、別のドアが開く。しかし、私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので私たちのために新しいドアがすでに開いていることに気づかない。(ヘレン・ケラー)
 
そうなのだ。今の俺は閉まってしまったドアを茫然自失に眺めているのだ。

閉まってしまったドアはあまりにも沢山のかけがえのないものに、通じていた。

いわば俺そのものが、あのドアの中にはあった。

本当の俺は閉まったドアとともに、ドアの向こうに消えてしまった。

ただただ阿呆(あほう)のように閉まったドアを眺めている今の俺は抜け殻なのだ。

飽きるまで閉まったドアを眺めていよう。

今はどこかに開いた新しいドアを探す気にもならない。

今月会社のみんなで人間ドックに行った。

胃のバリウム検査があるので前日の22時から絶飲食だったが、ふと疑問に思った。

人間ドックは、普通は「異常なし」と言われ安心するものだが、今の俺は何を求めて人間ドックを受診するのかと、、、、。

39歳で父が亡くなり漠然といつからか「俺の寿命も39歳」と思いこんでいたが、もうとうに39年間生かしてもらった。

我が子の顔を見れた。

だから俺はもう充分生きたのだ。

人生が修業の場なら、嫌というほど修業もした。

もう勘弁して欲しい。

人間ドックの結果が末期癌ならいっそ清々すると、本音を言えば不謹慎な事も思った。

人間ドックの結果は「動脈硬化が年齢の割にすすんでいる」と書かれていた。

ストレスと喫煙の影響だろう。

別に不安も安心も無く結果を読んだ。

そろそろ次住む所を探さなければならない。

閉まったドアを眺め続ける男には立って半畳寝て一畳、ワンルームがお似合いだ。

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