死に場所 | RYUの生き方、逝き方

死に場所

「しあわせはいつも、じぶんのこころがきめる」と相田みつを氏は言い、「幸せはなるものじゃなく、感じるものだ」と長渕剛は唄った。

でもそれを理解し熟考しても俺の人生は幸薄いものだったと残念ながらしみじみ思う。

哀しいのに「笑え」と言われても笑えないし、辛さや苦しみを前向きにとらえろと言われても俺にはさらさら無理な話しだ。

頼むから「頑張れ」と言わないでくれ。

頑張って頑張った結果「今」があるのだから。

猫は本来死が近づくと、可愛がってくれた主人に別れを告げ、人目につかない所で孤独に死を迎えるという。

俺の中でも死に場所を探している自分がいる。

また反面流れにまかせて生きようという自分もいる。

今この二つの心が葛藤中だ。

愛のない人生はいばらの道だ。

今の俺は家族を除いて誰も愛していないし、愛されてもいない。

人の愛し方も忘却の彼方に消えてしまった。

唐突に脈を計ってみた。

ちょうど70だった。

俺の心臓は主人の意思とは関係なく一分に70回鼓動している。

この期に及んで懸命に生きようとしている心臓が哀れでもある。

死に逝く人の心におざなりの「かけがえのない命を大切に!」と言うメッセージは、空虚で届かない。

唯一届くのは「私はあなたが必要です。」「あなたが死ぬと私は悲しい」と言う心の底からのメッセージだ。

いったい俺の魂の安息の古里は何処にあるのだろうか?

魂の解放を夏の終わりに渇望してならない。

                                        RYU