多分俺は女性を狭く深く見るのだろう | RYUの生き方、逝き方

多分俺は女性を狭く深く見るのだろう

常日頃から「私はもし結婚しても子供は欲しくない。」と言っていたクォターのモデルの女性に、

「(フレンチで待ち合わせしていて)片山さんが(仮名)、ドアを開けて入って来た瞬間に『この人の子供なら産みたいと思ったの、、、』」と変わった告られ方をした。

でも俺は彼女を恋愛対象と見る事が出来なかった。

色気を感じないのだ。

俺にとって彼女は透明な印象でそこから「キスがしたい」とか「触れてみたい」という衝動が、どこを探してもおこらないのだ。

この色気という漠然としたものの正体を俺は知らないが、ただ言えるのは、俺の中では「抱きたい女性」と「抱きたくない女性」に二分されるのだ。

これは顔の美醜とは関係なく、存在する感情なのだ。

俺には思春期からその感情が存在して、「抱きたい女性」=彼女にしたい。「抱きたくない女性」=友達。と分けて付き合ってきた。

この厄介な感情のせいで、随分遠回りをして現在に至るが、年齢を重ね審美眼がこえるにしたがって「抱きたい女性」は絶滅危惧種のように、減ってきた。

その代わり一度「抱きたい女性」とお付き合いすると何年お付き合いしても新鮮で、浮気したいという感情も全然おこらない。

多分俺は女性を狭く深く見るのだろう。

時間はちょうど正午。

絶滅危惧種を探しに行ってきます!

RYU