女は一生元気だが、男はほんの一時期輝いて後は用済みだとみんなが気づきはじめている | RYUの生き方、逝き方

女は一生元気だが、男はほんの一時期輝いて後は用済みだとみんなが気づきはじめている

気がついてみると、いつのまにかブランド信仰が崩壊している。

ブランドを品良く着こなす女も生存しているのだろうが、

今の日本では絶滅危惧種だ。

これは日本にとっていい事なのだろうか?

俺には分からない。

ただ似合わない全身シャネルの女を見なくてすむというのは、

歓迎すべき事だ。

かつてブランドは「己の欠け」、コンプレックスと言ってもいい。

それを補完する装置として流通していた時期があった。

流通するのと似合うというのは別問題だが、、、。

ブランド信仰が影をひそめたから、人の「欠け」が無くなったというのは、

違うと思う。

逆だ。

「欠け」は以前より多くの人の心に、一種の飢餓感のように横たわっている。

その触媒として個人がブログ、ツイッターなどで自己情報を発信し始めた。

でもそれで飢餓感がなくなるわけではない。

水を飲んでも飲んでも喉が渇くようなものだ。

飢餓感は自己実現か命がけで人に愛されないと埋まらないだろう。

日本人が、エルメスの革製品の優秀さや、カール・ラガーフェルドの独特のクリエイティブな世界に魅了されフェンディやシャネルを買う日が来るのだろうか?

多分今でもごく少数の人には理解され流通しているのだろう。

ブランドが本来の姿に回帰したとも言えるだろう。

今の時代は女は進化し、男は退行していってる。

女は一生元気だが、男はほんの一時期輝いて後は用済みだとみんなが気づきはじめている。

要は人も淘汰される末法の世なのだろう。

RYU

P.S.5ヶ月ぶりに娘に会った。楽しかった。女は強いなと、また思った。