石川遼君は、日本一努力したから、賞金王になれたと本当は誰も思っていない | RYUの生き方、逝き方

石川遼君は、日本一努力したから、賞金王になれたと本当は誰も思っていない

今日のサッカーの為に起きている。(寝るかもしれないけど 笑)

ワールドカップにしてもオリンピックにしても世界規格だから心地良い。

日本規格はウエットで大嫌いだ。

涙、汗、努力、、、、。

いつまでこの国は「努力した人が報われる」というストーリーを信奉するのか?

嘘と欺瞞だ。

その嘘と欺瞞の果てに今の相撲界がある。

相撲界も事業仕分けの時期なのだ。

その相撲界の対局に石川遼君は位置する。

石川遼君は、日本一努力したから、賞金王になれたと本当は誰も思っていない。





才能なのだ。

彼はそれを磨いただけだ。

人の非凡、才能と言ってもいい、それを認めるには、勇気がいる。

それは今までの古いタイプの日本人が最も嫌った作業だ。

その作業は自分で自分を凡人だと認める作業に他ならないからだ。





トヨタがレクサクブランドで3500万のスポーツカーを売り出す。

今の時代を象徴しているように思う。

トヨタもユーザーを仕分けし始めたのだ。

誰にでも買える額ではない。





水戸黄門の唄で「後からきたのに追い越され、泣くのが嫌なら さあ歩け」というフレーズがあるが、

高度成長の時代は年功序列、終身雇用で、このフレーズが通用したのだ。

今は努力して歩いていても、瞬時に追い越される時代だ。





そのうち「この時代をどうサヴァイバルするか?」なんてハウツー本が書店に並びそうだ。

あ~サッカーまでまだ時間あるな、、、。

でこの先絶対多数の俺を含めた普通の人はどう生きればいいのか?

まず自分のスペックを精査して、そこから皆それぞれ生き様を模索するしか道はないと思う。

地味な作業だがパラドクス的に事は完結しないのだ。

逆説的にいえば3500万のスポーツカー以上の新しい価値観を我々は想像する時期にきているのだ。

つまり新しい自分探しの過渡期に今我々はいる。

それはある意味素敵な事だ。

世界の中心は自分なのだ。

みんな自分が輝く舞台を探して下さい。

RYU