逆説的に言えば「神」を必要としない国はユートピアなのだ
世界中旅してみると分かるが、想念としての「神」がいない国はない。
なぜか?
神が我々を必要としたのだろうか?
答えはNOだ。
我々が「神」を必要としたのだ。
なぜか?
それは我々のこころに「神」が想起される時を考えれば明確になる。
人は人生が過酷な時「神」に祈るのだ。
特に日本ではそうだ。
逆説的に言えば「神」を必要としない国はユートピアなのだ。
しかしどの民族、国家も「神」を必要とした。
という事はどの民族、国家も、人生過酷なのは一律なのだ。
(侵略の為に宗教を使うのは欧米列強の常套手段だったが、ここでは話しがややこしくなるので省きます。)
私見だが100年前から科学は飛躍的に進歩したが、
人の営みにおける過酷さは100年前と同じだと思う。
科学の飛躍的進歩で人は飛躍的幸せにならなかったのだ。
つまり常に生きる過酷さは一定なのだ。
科学はデジタルだが、人の心はアナログだからだ。
携帯電話の普及で、だれでも瞬時に人と話せるようになったが、
それで急に親友が増えたという話しは聞かない。
困った時、迷った時、落ち込んだ時、心をひらいて話しを聞いてくれる友人は貴重な存在だが、
その親友との信頼関係に哀しいかなデジタルは無関係なのだ。
科学者が聞いたら徒労感からうつ病になるような話しだが、現実は哀しいのだ。
では無力なデジタルの対局にあるものは何か???
それこそが「神」なのだ。
「人は哀しいもの
人は哀しいものなの?
人は嬉しいものだってそれでも想っててもいいよね・・・」
と「end roll」で浜崎あゆみは唄ったが、
彼女は限りなく正しいのだ。
確かに人は哀しい側面を持つと思う。
ではどうすれば世界の人は、自国をユートピアに出来るのか?
それは22世紀、我々が死に絶えた後の課題だと思う。
少なくとも俺は知らない。
RYU
なぜか?
神が我々を必要としたのだろうか?
答えはNOだ。
我々が「神」を必要としたのだ。
なぜか?
それは我々のこころに「神」が想起される時を考えれば明確になる。
人は人生が過酷な時「神」に祈るのだ。
特に日本ではそうだ。
逆説的に言えば「神」を必要としない国はユートピアなのだ。
しかしどの民族、国家も「神」を必要とした。
という事はどの民族、国家も、人生過酷なのは一律なのだ。
(侵略の為に宗教を使うのは欧米列強の常套手段だったが、ここでは話しがややこしくなるので省きます。)
私見だが100年前から科学は飛躍的に進歩したが、
人の営みにおける過酷さは100年前と同じだと思う。
科学の飛躍的進歩で人は飛躍的幸せにならなかったのだ。
つまり常に生きる過酷さは一定なのだ。
科学はデジタルだが、人の心はアナログだからだ。
携帯電話の普及で、だれでも瞬時に人と話せるようになったが、
それで急に親友が増えたという話しは聞かない。
困った時、迷った時、落ち込んだ時、心をひらいて話しを聞いてくれる友人は貴重な存在だが、
その親友との信頼関係に哀しいかなデジタルは無関係なのだ。
科学者が聞いたら徒労感からうつ病になるような話しだが、現実は哀しいのだ。
では無力なデジタルの対局にあるものは何か???
それこそが「神」なのだ。
「人は哀しいもの
人は哀しいものなの?
人は嬉しいものだってそれでも想っててもいいよね・・・」
と「end roll」で浜崎あゆみは唄ったが、
彼女は限りなく正しいのだ。
確かに人は哀しい側面を持つと思う。
ではどうすれば世界の人は、自国をユートピアに出来るのか?
それは22世紀、我々が死に絶えた後の課題だと思う。
少なくとも俺は知らない。
RYU