俺は自分が生を終える時のイメージを、出来るだけ明確にイメージする訓練を日々しています | RYUの生き方、逝き方

俺は自分が生を終える時のイメージを、出来るだけ明確にイメージする訓練を日々しています

俺は自分が生を終える時のイメージを、出来るだけ明確にイメージする訓練を日々しています。

それは自分が母の8年間の介護生活で、「自分の老いと死は自己で完結させよう。」と強く思った事に端を発っします。

人は1人で産まれきて1人で死んで逝くものです。

その過程で人のやっかいには、絶対なりたくありません。

たとえ今後結婚する事があっても、妻の犠牲の上に自分の生と老い、そして死をなりたたせたくないのです。

この間、風呂からあがると立ちくらみがした事がありました。

その時も動揺する事無く、「ここで倒れたらバスルームの天井見ながら死んで行くんだな。」とただ思いました。

だいたい人は眠りにつくと翌朝目が覚めるという保証はありません。

人は毎晩眠る時、よく考えると命がけで目を閉じているのです。

体力か情報が不足すると人は不安になります。

それは未来を明確にイメージ出来ないからです。

誰しもが明るい未来を想像したい。

ただ混沌としたカオスの時代に、明るい未来は想像しにくいのも事実です。

でもそれも悪い事ではないと俺は思います。

暗い未来でも想像できれば、人は少なくとも不安にはなりません。

暗澹(あんたん)たる気持ちになるだけです。

問題は未来を想像出来ない時です。

これは不安をよび心を消耗させます。

だから我々はたとえ暗澹たる未来でも、まずイメージする訓練が必要だと思います。

不安の反対は安心だと思いますが、選挙の時など「皆が安心して暮らせる未来を!」などと言うアホがいますが、だいたい眠りにつくとき皆命がけなのに、安心もへったくれもないものだと思います。

安心するには、膨大な量の情報と体力そして運が必要不可欠です。

俺がいう情報とはテレビなどから垂れ流されるインフォメイションではなく、自分のアンテナが必要としたインテリジェンスをいいます。

人は不安な時、健康に留意し情報を得る努力が必要です。

本当日本のテレビの情報はクソですよ。

では!

RYU