10日後に死ぬと仮定すると、自分の欲望と向かい合わなくてはいけない
村上龍氏のエッセイを今読み返している。
前に少し記事で紹介した「すべての男は消耗品である」である。
このエッセイを俺はVol.6まで持っている。
Vol.7があるのかは知らない。
氏のエッセイは、思考が単純化出来るからたまに読むといい刺激になる。(「たまに読むと」は失礼かな?)
まあ事実そうなのだ。
今回読み直して印象に残っているのは、氏は「10日後に死ぬと仮定すると、自分の欲望と向かい合わなくてはいけない。私はいつもそういう風に生きていきたいと思っている。」という一節だ。
飢餓感は欲望を生むが、
この国には、飢餓感がない。
したがって今欲望は、希薄だ。
何を今自分は本当に欲しているのか?
本当は何に飢えているのか?
皆あまり考えない。
氏のように「10日後の死」を常に仮定して自分の真の欲望を明確にしながら生きていくのは、今の時代の重要なファクターだと思う。
RYU
(なぜか横向き、俺の書斎の乱雑な本棚)
前に少し記事で紹介した「すべての男は消耗品である」である。
このエッセイを俺はVol.6まで持っている。
Vol.7があるのかは知らない。
氏のエッセイは、思考が単純化出来るからたまに読むといい刺激になる。(「たまに読むと」は失礼かな?)
まあ事実そうなのだ。
今回読み直して印象に残っているのは、氏は「10日後に死ぬと仮定すると、自分の欲望と向かい合わなくてはいけない。私はいつもそういう風に生きていきたいと思っている。」という一節だ。
飢餓感は欲望を生むが、
この国には、飢餓感がない。
したがって今欲望は、希薄だ。
何を今自分は本当に欲しているのか?
本当は何に飢えているのか?
皆あまり考えない。
氏のように「10日後の死」を常に仮定して自分の真の欲望を明確にしながら生きていくのは、今の時代の重要なファクターだと思う。
RYU
(なぜか横向き、俺の書斎の乱雑な本棚)
