遺書 | RYUの生き方、逝き方

遺書

願わくば

桜の下にて春死なん

その如月の

望月のころ

西行法師








カマキリ雄は交尾後にすすんで雌に食べられる。

食べられる事で決して目にする事のない子孫の栄養になってやるのだ。

羨ましい死に方だと常々思っている。

「すべての男は消耗品である」というエッセイを村上龍氏が書いているが、確かに男は消耗品なのだ。

スペアはいくらでもある。

だから男は空虚でうつろな存在なのだ。

俺の人生だってとっくの昔に終わっている。

これまでの我慢や努力や悲しみは決して累加(るいか)される事無く、

春の風にただ流れ去るだけだ。

だから死に場所を心のどこかで探している。

物事は始める事はたやすいが、終える事は非常に難しい。

季節は春。

有終の美を飾りたいものである。

RYU