坂の上のフレーム | RYUの生き方、逝き方

坂の上のフレーム

今日は休みだった。

俺の部屋には電話回線を光ファイバーで2回線敷設している。

一般電話とFAX用だ。

朝、クルマでドラッグストアーと旨いパン屋に寄ってバケット買って帰ってくると、

電話がひっきりなしに鳴っている。

今日は俺にとって神聖な休みなので、電話に出ない事に決めた。

電話は必ず俗世を運んでくる。

たとえそれがごく微量の俗世だとしても、一瞬にして俺のサンクチュアリは浸食されて

ボロボロになる。

せっかくありったけの辛抱と忍耐力で一週間を過ごしたのだ。

それにしてもよく電話が鳴る。

大事な人には携帯教えているので、世俗の電話は無用なのだ。

最近メンタルタフネスを要求されるので、今の俺に必要なのは「休養」と「美」だ。

美に囲まれていると「俺は間違っていない。」と思わせてくれる。

その確信があるから男は闘いに身を投じられる。

歯並びのいい身長169センチ、股下84センチの美しい人とホテルで飲む紅茶は、ルイ13世よりも芳醇な味がする。

相変わらず電話はよく鳴る。

バケットで軽い食事をした俺は電話から逃れ散歩に出た。

ウランが存命の時に通った散歩コースだ。

コースの中に細い坂がある。

俺はその坂の上の雲を見るのが好きだ。

俺はその風景をこころのフレームで最も美しい形に切り取るのだ。

夏になると坂の上には太陽と積乱雲が見事に調和した風景が見られる。

それは一枚の絵のようだ。

調和は美だ。

例えばドミソの和音は美なのだ。

今の俺には不協和音はいらない。

不協和音は間違った孤独と不条理の宣教師なのだ。

今の俺は一人の傷ついた美の求道者に過ぎない。

まだ闘いは序盤だ。

RYU