遠い記憶と原風景 | RYUの生き方、逝き方

遠い記憶と原風景

俺が4歳の時父が病死した。

母もピアノを教えていたので、経済的には何の不自由もなかったが、

俺は一人っ子。

自然に鍵っ子になった。

今思えば家は結構豪邸だった。

小学校から家に帰ると正規の玄関は使わず、台所の鍵を開け家に入る。

薄暗い室内の蛇口からポトポト水が落ちていた。

俺は寂しさや惨(みじ)めさという言葉を覚える前に、それらを身体で感じた。

これが俺の原風景だ。

寂しさはさておき、ミジメさを俺は徹底的に憎んだ。

起業してある程度成功すると、湯水のごとく金を使った。

そのほとんどは、クルマや新地のクラブや服代に消えた。

浪費する度、自分の中で「ざまあみろ!」という感覚があった。

俺自身なんで「ざまあみろ!」なのか?

何に対する「ざまあみろ!」なのかずっと分からなかった。

ある時、気づいた。

原風景であるミジメさに対する復讐だと。

散々、復讐したおしたつもりだったが、ヤツは息の根を止めていなかった。

それは愛用のマックのインターネットバンキングで娘の養育費を送金する時、

お泊まりで遊びに来ていた娘を送った帰りの一人のクルマ、

何かの拍子に自分のちっぽけさを知った時etc,

またヤツは抜け目なく浸食してくる。

今、浸食を中和する「何か」を模索中だ。

たぶんそれは、日本語で「アイ」呼ばれるものだろうと思う。

RYU