依存の摂理 | RYUの生き方、逝き方

依存の摂理

人は、欠けた部分を埋めるために何かに依存する。

そう人は欠けた状態で、この世に生を受けるのだ。

シェークスピアはリア王の口を借りて

「人は泣きながら産まれてくる。

このろくでもない世の中に送り出されるのが、

嫌で嫌で仕方ないのだ。」と言った。

そこで人は自然に欠けた部分を埋めようとする。

ここに「依存」の根本摂理がある。

アルコール依存、薬物依存、親への依存、子への依存etc、、、、、、。

でも哀しいかな「依存」で欠けたものは埋まらない。

ただつかの間、忘れさせてくれるだけだ。

この束の間の忘却の為に、ある者は身体をこわし、

ある者は被告の身になる。

考えてみれば哀しい性(さが)を持って産まれてきたものだ。

だがその影の部分が、人に陰影をつくり人格に深みを増す作用も、

否定しがたい。

まれに好意を抱いていただく茶人な方も、俺の影の部分が心の

琴線に響いて好意を抱いていただくようだ。

で俺は何に依存していいるかと言うと20代は酒だった。

強いのでアル中にはならなかったが、毎日覚めながら飲んでいた。

30歳の時、好きで好きでたまらない彼女に依存していた。

そして今は孤独に依存している。

次は何に依存するのか楽しみでもある。

RYU