限りなく透明な~ | RYUの生き方、逝き方

限りなく透明な~

転けて気付いた事がある。

少しハイテンションなのだ。

心理学専攻していたのでフロイト的では無いが自己分析してみた。


痛いのが原因である。

肘、膝が、、、。

Mでは無い。

痛さが生きてる証し(あかし)の信号を脳に送り続けて「生きてるんだ、俺」と言う充足感があるのである。

この場合、自己は最初から存在するが、自己の証しが希薄だった脳に「転ける」と言うアクションが鮮やかに脳に生きてる証しを弁証法よろしく再認識させてくれた訳だ。

もう遠い過去になってしまったが神戸児童殺傷事件のおり加害者が自身を「透明な存在」と言った。

透明な存在、、、。

これは昨今の無差別殺人の被疑者を例に出すまでもなく皆、多かれ少なかれ持っている感情だと思う。

自己の感覚は都会では特に希薄だ。

人材派遣はあっても人物派遣は無い。

都会では人は人材なのだ。

いや人材扱いされているのだ。

人には自ら輝いている人、

何かに照らされて(例えば「彼の愛」とか)輝いている人がいると思う。

また輝いている時期、輝かしてもらってる時期もあると思う。


だがどちらにも属さない人は「孤独で透明」だ。


でも孤独で透明な人よ。

自分に対して嘘がなければ、

自分が後悔しないような選

択をしていれば、

きっと見ていてくれる人が

何処かにいて、

自分に妥協することなく、

強く望めばきっといい方向

に向かっていきます。

俺はそう信じて生きてきま

した。


自分の心を大切に。

大切な人を大切に、、、。

RYU