哀しみの質量 | RYUの生き方、逝き方

哀しみの質量

哀しみには質量がある。

小さく重い哀しみ。

大きく軽い哀しみもある。

この哀しみってやつは心の中で消化(昇華)される。

消化に時間のかかる哀しみ。

すぐ消化される哀しみ。

傷として一生残る哀しみもある。

簡単に言えばお気に入りのフローレスのダイヤをなくせば今日はひどく落ち込む。

では1年後の今日はどうか?

哀しみは変質し心の中に占める割合は減少している。

これは心がダイヤをなくしたという哀しみを消化したのだ。

受け入れたと言ってもいい。

なら広い心を持ては胃袋のように哀しみを早く消化し、狭い心の人は哀しみ多き人か?


違う。

心の消化時間は胃袋の大きさに関係ないからだ。

人が死ぬとお葬式、初七日、四十九日、一周忌、、、。


これは実は死者の為でなく残された人が、その死を再確認する為に集うのではないかと最近思う。

だから人間関係が希薄な昨今は死者に対する儀式が簡素化されつつあるのではないか?

人の感情を捨てて考えれば鮮血の赤も薔薇の赤も同じく美だ。