魂の海
この記事は過去記事「蝉 春秋を知らず」を読んでいただいてると分かりやすい。
がこれは俺が信じてるお伽話の様なものなので、正解でも無いし個人個人意見があっていいし、ましてや押しつけるつもりもさらさら無い。
大学で哲学を履修していた。
ギリシャ古典からカント、スピノザ、ショーペンハウアー、ニーチェ見事に全部忘れたが教授のある言葉だけおぼえている。
それは「個人にとっての死は存在しない。」という言葉だ。
死を意識しているうちは生きている。
死に怯えているうちも生きている。
死んだら死を意識出来ない。
だから死は残された者にのみ存在するという教えである。
日本語で生死という言葉がある。
日常に普通に使うが、生の反対は死なのか?
俺は違うと思う。
生の反対は無だと思う。
我々は母の体内に宿るまでは無だったからだ。
ただ俺が言う無は何をかけても飲み込んでしまう数字の0では無い。
母親の胎内に宿るまでは我々は永遠の魂の海で漂っていたのだと思う。
この魂の海が無だ。
そして今生で生を終えればまた魂の海に還るのだろう。
そして懐かしい母なる魂の海に抱かれるのだろう。
甘美な香りにつつまれて、、、。
がこれは俺が信じてるお伽話の様なものなので、正解でも無いし個人個人意見があっていいし、ましてや押しつけるつもりもさらさら無い。
大学で哲学を履修していた。
ギリシャ古典からカント、スピノザ、ショーペンハウアー、ニーチェ見事に全部忘れたが教授のある言葉だけおぼえている。
それは「個人にとっての死は存在しない。」という言葉だ。
死を意識しているうちは生きている。
死に怯えているうちも生きている。
死んだら死を意識出来ない。
だから死は残された者にのみ存在するという教えである。
日本語で生死という言葉がある。
日常に普通に使うが、生の反対は死なのか?
俺は違うと思う。
生の反対は無だと思う。
我々は母の体内に宿るまでは無だったからだ。
ただ俺が言う無は何をかけても飲み込んでしまう数字の0では無い。
母親の胎内に宿るまでは我々は永遠の魂の海で漂っていたのだと思う。
この魂の海が無だ。
そして今生で生を終えればまた魂の海に還るのだろう。
そして懐かしい母なる魂の海に抱かれるのだろう。
甘美な香りにつつまれて、、、。