心のレスキュー箱(緊急用) | RYUの生き方、逝き方

心のレスキュー箱(緊急用)

始まりがあれば終わりもある。

「RYUの生き方、逝き方」が今日Blogを終えるとすれば何が書きたいか考えた。

それは人には幸せを感じたくても微塵も感じられない時があるという事。

俺はずっと幸せは感じるものだと思っていた。

この記事を読む9割の方は、そう思っていて間違いない人生を送られるだろう。

そうだ幸せはは原則感じるものだ。

己と社会と闘わず「何か面白い事ないかな?」と思ってる方は今朝、朝ご飯を食べられた事に感謝すべきだし、健康な方はその健康な身体を己の為だけでなく小さな事でも人の為に役立てるべきだ。

それで幸せは感じられる。

阪神大震災の時、携帯、固定電話が不通になり近くの中学校にNTTが緊急回線を引いたので親戚に無事を知らせに電話に行った。

長い列。

以前記事でもふれたがこの中学は遺体の検死場所にもなっていた。

電話を待つ時間嫌でも他の方の会話が耳に入る。

今でも忘れない。

「リカもリナも皆死んでもた。嫁さん?死によった。だから残ったん俺だけや!何で神さん、俺を連れていって娘だけでも残してくれへんかったんやろ、、、。でも皆、死顔は奇麗や。可愛い顔して寝てるみたいや。あと沢山並んではるから、切るわ。とにかく俺一人になってもた。これからよろしく頼むわなー」

俺は電話を切ったこの人の肩をたたき「幸せは感じるものですよ」とはとても言えない。

もしこの記事を読まれた方が今後、幸せをどこを探しても見付からないない時、長い先の事を考えるより朝起きたら昼まで生きましょう。

昼になれば何でもいいから食べ、夜まで生きましょう。

夜になれば明日の事は考えずに今日生きた、すごい自分をねぎらってあげましょう。


明けぬ夜はないのだから。


「ヨーロッパの凄み」のコメ返9番目に書かせて頂きました。