ばあちゃん | RYUの生き方、逝き方

ばあちゃん

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今日は画像の封印を解く。

と同時にこころの封印も解く。

みんなやさしいからだ。

フォトショップを起動する。

PCの中に封印した祖母と俺だ。

会社のPCにも自宅のPCにも入ってる。

みんな俺の事親身になってくれて涙腺が今ゆるい。

ありがとう。

セカンドオピニオン探します。

でこの祖母が俺を育ててくれた。

幼稚園に着くとおばあちゃん子だった俺は「ばあちゃん、終わるまで待っててね」と毎日言った。

幼稚園から5分くらいの家だったから当然帰っててただろうが幼稚園が終わるとばあちゃんはいつもいてくれた。

その頃母はピアノコンクールで賞状稼ぎまくってた。

はっきり言ってよく叩く怖い女でしかなかった。

俺が、ばあちゃんの自慢を母にすると母は祖母の悪口をいつも言った。

俺が高校の頃、俺、母、父型の祖父、祖母で住んでいた。

じいちゃんと祖母は離れだ。

離れといっても土地だけ広かったので4LDKはあった。

俺はそこに入り浸りだ。

母が離れと母屋に間に壁を作った事は以前書いたが、それでも入り浸りだ。

座る場所は決まってる。

じいちゃんの席。

ばあちゃんの席。

俺の席。

でもばあちゃんが席を立つとばあちゃんの席によく座った。

ばあちゃんの温もりがあるからだ。

ある時ばあちゃんがふらふら席を立ちトイレに行った。

俺はつかさずばあちゃんの席に座った。

なま暖かく濡れていた。

失禁していた。

ばあちゃんの熱を計るとすごい熱だ。

救急車を呼んだ。

ただの風邪だった。

でも母は、ばあちゃんの介護をせずに、国道43号線(地震で高速が倒れた道路)沿いの空気の悪い、ど汚い病院に入れた。

ばあちゃんの入院は続き俺は大学生になってアルバイトばかりしていた。

俺は母を嫌い一人暮らししていたので、金が無く車のガソリンを5リッターづつ入れたりしてた。

ばあちゃんの見舞いに毎日行った。

ある時俺がアルバイトで稼いだお金から千円あげると言った。

ばあちゃんは断ると内心思った。

なぜなら高校の頃入院前のばあちゃんにバイトしてお小遣いをあげると言ってもかたくなに「気持ちだけもらっとくよ」が口癖だったからだ。

でも拝む様に受け取った。

「ばあちゃん、お金無いの?」と聞くとお小遣いが無いらしかった。

病院は病院の社会があり隣の病室の人から貰い物をしたらお返しが必要で、そのお金にも困っていた。

その頃母は応接間にオーストラリアからムートンを買い、ピアノはスタンウェイだ。

俺はムートンなんかいらないからばあちゃんにあげて欲しかった。

ばあちゃんは生残その病院から退院する事無く逝った。

痛恨である。

もっと俺が早く産まれていれば、、、。

最近日々自己保身本能だけになる母の介護に疲れ祖母を思う。

PS.ばあちゃんは父方の祖母です。

母とは嫁、姑関係です。