M(感謝コメ返) | RYUの生き方、逝き方

M(感謝コメ返)

皆さん、娘Mに対するこころのこもったコメントありがとうございます。

嬉しくて嬉しくてコメ返書いてたら記事になってしまいました。

もー一日だけ、どうか一日だけつぶやかせて下さい。

これは中二の読者がおられる事を考えると迷ったのですが、記事にしちゃいます。

はっきり言って20歳の俺が読んだら「何しょーもない事連載しとんねん!!!」と間違いなく思います。

でも決行します。

俺は「M」のコメント覧のayachang様のエピソード。

お母様の納骨の際お父様が「骨食べたろうか~」と言う言葉が突き刺さりました。

究極の愛のカタチです。

俺もその立場ならもちろん食べます。

食べて愛する者と同化し永遠になる。

とても素敵な事だと思います。

俺も枕元にはMのまつげ、生え替わりでぬけた歯をシャーレに入れ上に京都の鈴虫寺のお守りを置いています。

鈴虫寺は、有名なお地蔵があります。

この寺は娘と引き離され悲嘆にくれる俺を見た友人が教えてくれました。

このお地蔵さん、足があって願い事を(触ってからだったかな?)すると夜中に歩いて願い事を叶えてくださるという言い伝えがあります。

俺は心願をかけシャーレの上にお守りを置いています。

最近では、Mがまつげがぬけると「はい!」と手渡してくれます。

話を戻します。「骨噛み」の風習は日本にも古くからあり映画「たそがれ清兵衛」(号泣しました)、五木寛之「青春の門」にも出てきます。

俺は正直Mを「ちゃん」付けか、「さん」付けで呼びます。

これは俺の幼少期、母がお婆ちゃんと遊んでいる時突然帰ってきて「今日からはお母様と呼びなさい」と言ったトラウマの反動です。

子供心に「何眠たい事言っとんねん!」とそんな汚い言葉は知りませんでしたが、要は思いました。

だからMも一つの人格。

俺のものでも先妻のものでもなく、神からお預かりした命と思っています。

保育園(記事で幼稚園と書きましたが間違いです)をMが卒園した時俺が仏壇を背にして正座しMにも正座さし「Mちゃん、3年間よく頑張りました。お母さんがお仕事でで迎えが遅くて不安になった事もあったでしょう!よく頑張りました。お父さんはあなたを誇りに思います。」と言いました。

するとMの目がみるみる涙であふれ「お父さん、ほこりって何?」とききました。

「自慢って事」と俺も泣きながら答えました。

俺はいつもMに言います。

「お父さんはMがいい子だから愛してるんじゃない。Mが道をあやまりたとえ悪い子になっても愛しているよ。だけど愛しているという事と叱らないという事は別だよ。でもMちゃんが悪い病気になって神様のところに行くことがあれば、一人で行かせないよ」と。

最後にある方のプチメのお言葉を引用させて頂きます。

あなたは、すでに、すごく、大きな、幸せを、手に、しているのです。

俺もそう思います。

幸せです。

ありがとうございました。
皆さんは「骨噛み」までしたい方はおられますか?

又若い読者の方はそんな愛に巡り逢えたらいいですね!