約束のHANABI | RYUの生き方、逝き方

約束のHANABI

1984年生まれの人と最近、縁がある。

うちの会社の新入社員もいるし仕事関係、プライベート合わせてなぜか1984年生まれが多い。

俺は自分の干支の一回り下の社員が入ってきた時から本気で叱るのを止めた。

理由は自分でも分からない。

でも組織とは良くできたもので、俺が叱らないと分かると誰かが注意してくれ皆、それなりの仕事人になっていく。

前置きが長くなったが、俺の年代と1984Verの違いは、「約束」の解釈の違いだ。

急に解釈が変わった訳ではない。

徐々に「約束」の重みが軽くなっている。

もちろん仕事以外での話だ。

中には約束した後で、予定を入れ悪びれもせず「予定が入ったので」というパターンも登場だ。

かつてメロスは圧政をしく王と親友との約束の為に走った!


俺も約束は絶対守る。

だからあまり約束をしない。

でも俺は約束を守るが、した約束に対してあまり期待はしていない。

「今」の約束の軽さを知っているから。

これも言葉の変化と受け流している。

俺が約束にこだわる様になったのは、このblogでも何度か紹介した三浦綾子の「塩狩峠」を読んでからだ。

この本の主人公は、人間愛に生き人間愛の為に命を投げ出す。

この主人公の成長過程で、こんな話しが出てくる。

小学生だった主人公が、友達と夏、夜に校庭で花火をする約束をする。

約束の時間が近づくと、どしゃぶりの雨、主人公が花火を諦めていたところへ彼の父が聞く

「おまえ、今日花火に行くんじゃなかったのか」

主人公「うん、でもひどい雨だから」

父「その約束は雨なら止めるという約束なのか」

主人公「えっ、違うけど、、、。」

父「なら行ってこい」

約束は仮予約では無いと思う俺は古いのでしょうか?


皆さんの「約束の重み」どれくらですか?

これだけは絶対守るという約束は何ですか?

破られて最悪の約束の思い出ってありますか?